2009年07月02日
真伝探究の考察 其の七
「中心力抜刀術」で武道の精華たる気合を体得する
私は日常休まずに鍛錬時間がとれる学び人には、「中心力抜刀術」の指導をしております。
それは、「中心力抜刀術」が「気合応用型」と共に、この鍛錬の核となる「武道の精華たる気合」体得に、もっとも優れた体系だからです。
「中心力抜刀術」は、二尺八寸から三尺二寸の長刀を扱う刀術ですが、長刀故に、しっかりとした腰の据わり、利動力、気合での抜刀などが出来ないと、とてもではありませんが様になりません。そして普通の居合で使われる二尺二寸から四寸の刀と長刀とでは、握り方も、手の締めも、まったく異なります。
一例として書きますと、長刀の握り方は、伝統の長刀術や抜刀術がありますが、それらの流儀に共通な教えである「刀を握る親指と人差し指の指の又を柄の頭にピッタリと当てて離さない」などがあります。
この他にも小指の使い方、肘や腕の振りなど、定寸の打刀と長刀では大きく異なり、知って鍛錬するか、知らないままに学ぶかで、効果も結果も違ってくるわけです。
さて、鍛錬には八大要件獲得の「肥田式強健術」と、悟道と潜在力覚醒の「聖中心道」体系とがあり、基盤にあって効果と威力を高めるのが「武道の精華たる気合」であることは今までも書いてきました。
肥田先生が示唆された「型は枝葉である!」も、気合なき鍛錬ではかかし踊りであり、長年鍛錬しているのに効果はサッパリなる状態も、気合の無い型だからです。
『聖中心道肥田式強健術』を学ぶすべての学び人は、「武道の精華たる気合で腰腹同量正中心の鍛錬を行う」が真伝であることを明確にして学ばなければなりません。
これを分かり易く言うと、鍛錬の成果は気合に現れ、鍛錬の効果も気合に顕れ、鍛錬継続の結果も気合に表れ、しかして鍛錬の一切が気合を形成することになり、気合を高め、気合が態度物腰に、声に、眼光に、などなどに示現する!ということです。
この鍛錬の魅力も、後味も、満足感も、フットに軽快、ハートに爽快、ヘッドに愉快の三快も、気合ありてこそ故に味わえる醍醐味であります。
この鍛錬を気合を核として学んでいる、このまま鍛錬して行けば時間の経緯と共に気合を体得できるはずだ!と確信を持つに至った段階で、基本は習得できたと言えます。
『中心力抜刀術』を学び、最後に「聖中心道」型を学ぶようにすると、この鍛錬の全容を掴めるようになります。
気合なき鍛錬とは、その意味では「木を見て森を見ず」、「鹿を追う者山を見ず」と言います。
2009年6月30日 佐々木了雲
spb-0034 at 01:00|Permalink
│
2009年06月30日
博子の日々是鍛錬 (26)
「流行のダイエットを考える」
今から15年程前、友人に薦められて東城百合子の「自然療法」を読んだことが切っ掛けで、「健康」について考えるようになった。
健康や美容に関する新聞記事、雑誌、本、テレビ番組などを必ずチェックし、興味があるものには手を出していた。今振り返ると根拠の無い怪しげなものが多かったように思う。今でも本屋に行くと必ず健康と美容のコーナーに立ち寄り本をチェックする。
昔は単品ダイエットとか、この健康食品を摂っていればOKというのが主流を占めていたように思うが、この頃は身体を動かすことがメインのダイエットや健康法が主流のようで、「うんうん」と共感できるものから、「えっ、ちょっと違うな〜」というものまで色々である。
ここ最近は骨盤ダイエットが主流のようだ。
物に、人に頼って健康を手に入れる綺麗になるというのではなくて、自分自身を自分の手で変えるということ、姿勢を良くすることが健康面でも美容面でも重要だという傾向にあるようで、それはそれで良いことだと思う。
この間も新聞のテレビ蘭に「1日3分の骨盤体操で超クビレ」というのを見つけ、どんなことをするのか興味があったので見てみた。骨盤の歪みを治してスリムなボディを手に入れるという内容だった。
4種類の動作が紹介されていた。
一番目の腰回しでは、お腹をグッと締めて回すように指導していた。お腹を締めて回そうとすると親指に力が入る。
「あっ、この感覚は肥田式の腰腹同量だ! わざわざ腰を回さなくても、肥田式の正しい立ち方をすればOKじゃない」
残りの動作も気合応用の上腕二頭筋、簡易強健術の上脚四頭筋と同じような感じだ。
早速4種類の動作をやってみた。
見た目以上にキツイ。
普段ストレッチや運動をしていない人がいきなりやると怪我をしそうだ。何度も無理をしないようにと言っていた。
肥田式は無理をしようとしても出来ない。
自然と自分の身体の現状の範囲での運動となる。簡易強健術では脚を固定して行なうが、その状態がいわゆるスクワットなので自然に脚腰も鍛えられている。
肥田式は女性には縁遠いように感じるが、よくよく分析してみると美容効果のある体操との共通点がかなりあるのだ。
骨盤矯正体操を行なう前に、体重計を2つ用意して両足に均等に体重がかかっているかをチェックしていた。左右でかなりの差があった。体操を行なった後で体重をチェックすると左右差が無くなっていた。スタジオ中「わーっ、凄い!」と湧いていた。
確かに凄いと思う。が、そういう体操をしなくても肥田式の「腰腹同量」を意識した正しい立ち方を普段から心掛けていれば自ずと骨盤は締まり、歪みも解消され、体重は両足に均等にかかってくるようになる。
どんなに良いものでも続けられなければ意味が無い。骨盤矯正体操にしても肥田式の立ち方にしても、日々継続できるかどうかが大事なのだ。
健康になるのも綺麗になるのも、明確な目的と続けるという強い意志があってこそ、だ。
そう思う。
2009年6月28日 今井博子
2009年06月29日
2009年06月24日
博子の日々是鍛錬 (25)
「汚れを洗う」
あ゛〜、ガックリ。全然出来てない、細部が甘いし、でたらめで自己流になってる。
講習会を受けると毎回そう思う。
一人で稽古をしている時はそれなりに出来ているように思うのだが、佐々木先生の指導を受けるとそんな思いは粉々に吹き飛んでしまう。自分では「よしっ、気をつけてやったぞ」と思っている個所を注意されたりするのだ。
一瞬「えっ!?」と思うのだが、先生の目から見て出来てないということは出来て無いのだ。
気をつけてやっているつもりという気持ちだけ、身体がついていってないのだ。
例えばかかとの絞込み。
今回の講習会で人生の基本・健康の基本・型の基本は正しい姿勢からということで、「立ち方」について細かい指導があった。
足の親指が白く変わる位に力を入れ、かかとを絞り込み、足の内側に体重を乗せる。そうすることで脚の内側の筋肉に力が入り、大殿筋などお尻の筋肉が締まり、腰腹が決まり、背筋が伸び、肩甲骨が下がり、胸郭が開き、頭が正しい位置になる。重心が地球の中心に向かって真っ直ぐ落ちる。
何度も教えて頂いているので「当然のこと、大丈夫」と立っていたら「足の親指に力が足りない!」と注意された。
「うーん、情けない」と一瞬落ち込む。
が、こうして出来てないところやでたらめなところを注意し指導して下さるのはとっても有り難いことなのだと思った。
自分の思い込みや癖は中々自分では気付かないし判らない。気をつけて稽古をしていても、無意識にその時の自分の身体の状態(筋肉の柔軟性、筋肉量、身体の柔軟性など)に合わせた型になっている。
足腰が弱ければ上体を真っ直ぐにしているつもりでも前屈みになっている。
部屋がスタジオのように全面鏡張りではないから、尚更その自分の癖を自覚できない。
いつの間にか自己流になり、変な癖がつき、でたらめな型になっていることに講習会で先生の指導を受けることで思い知らされる。
「講習会を受けると自分が如何にできてないか、でたらめなことをしているかが身に沁みます。やっぱり大阪講習会に来ないといけないですね。」
「武道の世界ではそれを『洗う』と言うのです。地方とかで師範として指導している人達も、年に1回とか定期的に師匠の指導を受けるのですよ。気をつけていても自己流になり型が崩れてきますからね。これを『汚れる』と言い、定期的に『汚れを洗う』必要があるのですね。」
肥田式強健術は独学で大丈夫という人もいるそうだが、一人で学ぶには解剖・生理・力学の知識、武道の教養、科学的思考を身に付けていることが大前提である。
私にそんな教養があるのか?
無い。
立つということは作用反作用が働いていると言われて「???」、動作の終りに必ず両手で太腿を叩くのは何故か、と言われても「???」、なのだから一人で学ぶなんて絶対に無理。
時間的なこと、経済的なことが頭をよぎり、大阪がとっても遠く感じられて行くのを躊躇ってしまうこともあるけれど、やっぱり行ける状況ならば行かねば。
汚れがどんどん溜まって洗うのに多大な時間を要しそうだし、上達も望めそうにない。
多少の無理は覚悟の上で、直接指導を受けられる講習会には行かなければと思うのである。
2009年6月21日 今井博子
2009年06月22日
2009年06月12日
真伝探究の考察 其の六
「気合応用型」を中心に学びましょう!
「肥田式強健術」は、「呼吸操練法」、「簡易強健術」、「気合応用強健術」、「椅子運動法」の四型で構成されています。そしてそれぞれの型の中に学び取るべき内容があります。
私はそれらの型の中で初心者は、「呼吸操練法」を学び深層部呼吸筋群の操練を体得すべし、「簡易強健術」で姿勢を崩さずに呼吸する、姿勢を崩さずに動作することを学ぶべし、と指導してきました。そして「気合応用型」は「武道の精華たる気合で腰腹同量正中心の鍛錬を行う」中心の学びであるから、鍛錬の核として学ぶように指導してきました。
正直なところ、「気合応用型」は型それ自体が難しく、習得にも時間がかかります。この難しさは「気合応用型」が「利動力」と「気合」を体得する目的で構成された型だからです。
実際に「気合応用型」だけは激しく豪快な動作で構成され、動作の一瞬毎にバランスの安定と、爪先または踵から跳ね上げる反動の活用などが要求されます。それらを完全に行うには、脚の角度や姿勢、呼吸などそれぞれが合一していないと、型それ自体がぎくしゃくして息が上がってしまうなど、気合習得など夢に終わるのが一般です。
されど、「鍛錬は人を変える」のは事実であり、日々根気での稽古はそれなりに豪快な気合応用に仕上がってまいります。
気合の体得には、有声での気合と含み気合とで学びますが、反動を利用した腹声で行うのならば、どちらの方法でも結構です。ただし潜在力活性や武道的気合を目的とするのならば、有声気合に勝るものはありません。
春充先生の伝記を拝読すると、鍛錬で体得された「裂帛の気合」で難問を解決し、窮地を切り抜けたことが記されています。旧約にも「はじめに言葉ありき」とあるがごとく、声には森羅万象の共鳴があり、その共鳴に人は神秘の響きを感じとってきたのです。
2009年6月12日 佐々木了雲






