2010年02月08日
肥田式強健術真伝 002
心身改造と潜在力を開花させる「肥田式強健術真伝」
これは「気合」の意味するところが広く、その内容となると底なし沼の如く深くなります。ある意味では捉え所のないともいえる「気合」を、実は私は密かに、この連載で判りやすく纏めてあると自負しています。何故なら、気合での強健術鍛錬を成立させている呼吸、姿勢、動作、術技について、理論、そして基礎から応用までの実践方法を紹介しているからです。
そして、主に紹介している方法こそ、私が今日まで心血を注いで学んできた肥田春充先生が創始された「武道の精華たる気合で腰腹同量正中心の鍛錬を行う」体系である『聖中心道肥田式強健術』です。
気合や気合術、練丹法、丹田呼吸法の紹介の中心になぜこの体系を据えたのかと申しますと、決して自分が長年『肥田式強健術』を学んできたからという我田引水などではありません。気合という分野、まぁ何の分野においても言えることですが、その実体を知るために過剰包装をバリバリと引っぱがし、中身を晒して開陳し、虚装など無しでその真実の姿を見る時、気合という誰もが耳にしながらも実は謎という内容を、実にストレートに段階を追って纏めてあるのは、肥田春充先生という天才体育家が人生をかけて纏めたこの気合鍛錬だけだったからです。
しかし、肥田式強健術を指導する者のレベルも様々です。
前書きで書いていいのかどうか、正直迷ったところですが、私が「気合は日本が世界に誇る人類の文化遺産」だと考えている体系の発展の妨げとなる重要なことを、世間一般によくあるような三匹の猿の真似をしてやり過ごすことは、思い深き理由故にできません。気合というヒトの内に眠る人類の根源の力を、呼び起こす力であることを知る故に、また気合それ自体に思い深き故に、とても黙ってはいられないのです。
天下の一大事には、ロートルにもかかわらず身体に鞭打って駆け回る、天下御免のご意見番が一人ぐらいは居ても許されるだろうと考え、腹を据え、あえて申すことにした次第です。
そのあえて申しておきたい苦言とは、現在一般に紹介されている「肥田式強健術」が、お話にならないぐらい低レベルという憂うべき状態のことについてです。
「肥田式強健術」の創始者は「西洋の科学理論に基づき東洋の気合鍛錬を行うのである!」と明言しているほどの厳格な科学的思考の方です。「肥田式強健術」という威力が強烈な気合鍛錬は、理学、実学共に、基礎がガッチリ構築されている体系です。それだけに基礎から学ぶにあたっては、才能、個性、腕力、実績、肩書きなどなどの個人の過去の実績や自慢、奢りなど、進歩阻害の視野狭窄シンドロームの原因となる一切を放擲します。そして虚心坦懐、頭を垂れて学ぶようにします。
このことには意味があります。それはこの体系の学びがあまりにも常識外にあるからです。
武道や芸道をそれなりに学んだ者からすると、気合で鍛錬するこの体系の理論も実技も共に、ある面からすると予想外だから故に感動するのです。そのような常識外に位置している基礎から、段階ごとに刮目して、心も新たに堅実に体得して行くのであって、とてもとても効果のレベルが低いなど、まったく断じてありえないことだと言えます。
(つづく)
これは「気合」の意味するところが広く、その内容となると底なし沼の如く深くなります。ある意味では捉え所のないともいえる「気合」を、実は私は密かに、この連載で判りやすく纏めてあると自負しています。何故なら、気合での強健術鍛錬を成立させている呼吸、姿勢、動作、術技について、理論、そして基礎から応用までの実践方法を紹介しているからです。
そして、主に紹介している方法こそ、私が今日まで心血を注いで学んできた肥田春充先生が創始された「武道の精華たる気合で腰腹同量正中心の鍛錬を行う」体系である『聖中心道肥田式強健術』です。
気合や気合術、練丹法、丹田呼吸法の紹介の中心になぜこの体系を据えたのかと申しますと、決して自分が長年『肥田式強健術』を学んできたからという我田引水などではありません。気合という分野、まぁ何の分野においても言えることですが、その実体を知るために過剰包装をバリバリと引っぱがし、中身を晒して開陳し、虚装など無しでその真実の姿を見る時、気合という誰もが耳にしながらも実は謎という内容を、実にストレートに段階を追って纏めてあるのは、肥田春充先生という天才体育家が人生をかけて纏めたこの気合鍛錬だけだったからです。
しかし、肥田式強健術を指導する者のレベルも様々です。
前書きで書いていいのかどうか、正直迷ったところですが、私が「気合は日本が世界に誇る人類の文化遺産」だと考えている体系の発展の妨げとなる重要なことを、世間一般によくあるような三匹の猿の真似をしてやり過ごすことは、思い深き理由故にできません。気合というヒトの内に眠る人類の根源の力を、呼び起こす力であることを知る故に、また気合それ自体に思い深き故に、とても黙ってはいられないのです。
天下の一大事には、ロートルにもかかわらず身体に鞭打って駆け回る、天下御免のご意見番が一人ぐらいは居ても許されるだろうと考え、腹を据え、あえて申すことにした次第です。
そのあえて申しておきたい苦言とは、現在一般に紹介されている「肥田式強健術」が、お話にならないぐらい低レベルという憂うべき状態のことについてです。
「肥田式強健術」の創始者は「西洋の科学理論に基づき東洋の気合鍛錬を行うのである!」と明言しているほどの厳格な科学的思考の方です。「肥田式強健術」という威力が強烈な気合鍛錬は、理学、実学共に、基礎がガッチリ構築されている体系です。それだけに基礎から学ぶにあたっては、才能、個性、腕力、実績、肩書きなどなどの個人の過去の実績や自慢、奢りなど、進歩阻害の視野狭窄シンドロームの原因となる一切を放擲します。そして虚心坦懐、頭を垂れて学ぶようにします。
このことには意味があります。それはこの体系の学びがあまりにも常識外にあるからです。
武道や芸道をそれなりに学んだ者からすると、気合で鍛錬するこの体系の理論も実技も共に、ある面からすると予想外だから故に感動するのです。そのような常識外に位置している基礎から、段階ごとに刮目して、心も新たに堅実に体得して行くのであって、とてもとても効果のレベルが低いなど、まったく断じてありえないことだと言えます。
(つづく)
2010年02月05日
肥田式強健術真伝 001
心身改造と潜在力を開花させる「肥田式強健術真伝」
「まえがきにかえて」
ヒトは広大無辺の大宇宙に生まれ、息し、死んでゆく。その息している時空に手足をひろげて飛び回り、数々のモノと多くのヒトに触れ合い、感じて、楽しさと喜びを十全に謳歌する。それがヒト本来の姿だと思う。
一瞬一瞬が連続した輪廻の歩みに、時に喜・怒・哀・楽を全身で表現し、時に絶望の淵に立たされることもあるが、それもまたかけがえのない人生で喜楽を甘受するためであると思う。
「人生は重き荷物を背に負って坂道を登る如く」だとか、「人生ことごとく修行」などの自己制御の教訓もあるが、ヒト本来の機能や能力を知る時、例え失敗するにせよ、ヒトは自ら持てる能力を余すことなく全開して生きた方が悔いはないのである。
ヒト本来の生き方である「より良き人生を全力で謳歌する」には、学校などの教育で開花させる顕在能力と共に、自らを信じ、自らを観察し続けて学ぶことで可能となる、ほとんどの方が心身の内に眠らせたママでいる各種の潜在力を高め、活性化させ、随所に働かせてこそ可能だと思うのである。
楽しさ、そして喜びを人生に活かす力を持つ、誰もが秘めている潜在力発現を誘導する方法こそ、本書の目的とするところであります。
この連載では潜在力を開花させる実技の『気合』、そして『気合術』という分野でこれまで謎とされ、希に紹介されても断片的かつ伝説の域を出なかった実技と理論を、初めて本格的に紹介いたします。そのために用語や内容が少々難しいという感じを受けるかとも思いますが、それは何の分野でも専門書の常であり、宿命だと思います。この本では専門用語も噛み砕いて易しく解説し直しましたので、一般の方でも興味があれば理解できると思っています。
まえがきから早速、『気合』という意味を解説しておかないと、本文で理解できないところが出てくると思います。ということで、『気合』という普通用語として軽く使われている気合についてから入門させていただきましょう。
(つづく)
「まえがきにかえて」
ヒトは広大無辺の大宇宙に生まれ、息し、死んでゆく。その息している時空に手足をひろげて飛び回り、数々のモノと多くのヒトに触れ合い、感じて、楽しさと喜びを十全に謳歌する。それがヒト本来の姿だと思う。
一瞬一瞬が連続した輪廻の歩みに、時に喜・怒・哀・楽を全身で表現し、時に絶望の淵に立たされることもあるが、それもまたかけがえのない人生で喜楽を甘受するためであると思う。
「人生は重き荷物を背に負って坂道を登る如く」だとか、「人生ことごとく修行」などの自己制御の教訓もあるが、ヒト本来の機能や能力を知る時、例え失敗するにせよ、ヒトは自ら持てる能力を余すことなく全開して生きた方が悔いはないのである。
ヒト本来の生き方である「より良き人生を全力で謳歌する」には、学校などの教育で開花させる顕在能力と共に、自らを信じ、自らを観察し続けて学ぶことで可能となる、ほとんどの方が心身の内に眠らせたママでいる各種の潜在力を高め、活性化させ、随所に働かせてこそ可能だと思うのである。
楽しさ、そして喜びを人生に活かす力を持つ、誰もが秘めている潜在力発現を誘導する方法こそ、本書の目的とするところであります。
この連載では潜在力を開花させる実技の『気合』、そして『気合術』という分野でこれまで謎とされ、希に紹介されても断片的かつ伝説の域を出なかった実技と理論を、初めて本格的に紹介いたします。そのために用語や内容が少々難しいという感じを受けるかとも思いますが、それは何の分野でも専門書の常であり、宿命だと思います。この本では専門用語も噛み砕いて易しく解説し直しましたので、一般の方でも興味があれば理解できると思っています。
まえがきから早速、『気合』という意味を解説しておかないと、本文で理解できないところが出てくると思います。ということで、『気合』という普通用語として軽く使われている気合についてから入門させていただきましょう。
(つづく)
2010年01月25日
博子の日々是鍛錬 (46)
「声を出して稽古する意味」
今月は大阪の講座に行けなかったので「有声」での鍛錬をする機会が無かった。
日々のストレッチ程度の稽古では何だか物足りない。
田代さんがブログに「有声での鍛錬が絶対にお勧め」と書いていたし、思いっきり声を出せる場所が無いかな〜と市役所のホームページを見ていたら多目的ルームが安く借りられることを発見。
早速申し込んでこの土曜日に3時間程鍛錬をした。
「いえーーーいっ!」
物凄く響く。
響きすぎる。
確り声が出ているような錯覚に陥る。
が、これは気合ではなく単なる大声だ。
肚からの声ではない。
腰腹に力を入れてグッグッグッ!と押し出すようにして声を出す。
少し重い声になったような気がする。
だが、この腹筋を締め続けて声を押し出すということが中々出来ない。
肥田式を学び始めた頃、私の斜腹筋はどこにあるの?というような状態だったが、今は多少は斜腹筋の存在を確認できる。それでもまだまだ鍛え方が足りないので腹筋を締め続けることが出来ないし、また腹筋を意識することを忘れ声を出すことに意識が向いてしまう。
これでは単なる発声練習だ。
家で含み気合で鍛錬していると気付きにくいが、実際に声を出すと腰腹に力が入ってないのがよく分かる。
普段大きな声を出すことはないので、声を出すと気持ちが良い。が、声を出すことが本来の目的ではないのだ。
声を出すと自分の腰腹の状態を掴みやすい。
その為の有声での稽古だ。
一人で3時間・・・。
出来るのだろうかと少し不安があったが、簡易強健を1時間強、気合応用を1時間半、抜刀術の基本を20分程。
アッという間では無かったけれど、そんなに長いとも感じず、かなり充実した時間だった。
自宅で稽古するのとは違い、場所が変わると集中出来る。
50畳ほどの部屋で正面に大きな鏡もあり、周囲に気兼ねすることなく声も出せて快適だ。
床がコンクリートの上に薄い合板を張っただけのようでちょっと硬いのが残念だ。
でも、高台にあるので景色が良い。晴れていれば雪を冠った石鎚連峰を眺めることも出来る。
今後も利用しようと思っている。
2010年1月24日 今井博子
2010年01月12日
博子の日々是鍛錬 (45)
「今年の課題」

年が明けて10日余り。
初夢は未だ見ず。
まあ、普段から夢は見ない方なので、お正月だからと特別に夢を見られるはずも無い。
初夢は無理だったが、3日に初詣に行った。役行者が開山した石鎚山を神体山とする石鎚神社で、今年も恙なく肥田式強健術を学ぶことが叶いますようお願いをしてきた。
私は四天王とか十二神将(中でも伐折羅大将)など迫力のある力強い像が好きなのだが、石鎚神社の神門にも大天狗と小天狗の力強い像がある。この像のようにどっしりとした揺るぎの無い下半身を手に入れたいと、同行していた友人が呆れるくらいに暫くじーっと見ていた。
すると平櫛田中の鏡獅子試作裸形が脳裏に浮かんだ。大地に根を張るかのような力強い下半身。
・・・カッコいい。
その状態に少しでも近付きたいと石鎚神社を後にした。
初詣を済ませたところで、今年の課題について考える。
上半身の力を抜いて、背骨を自由にしなやかに使えるようになることが今年取り組もうと思っている課題だ。
上半身の力を抜くには下半身が実でなければならない。
昨年、やっと少し「下脚は地面から垂直」の状態が理解できた。
今年は「下脚は地面から垂直」の状態が常に出来るように鍛錬に取り組みたいと思う。
もう一度股関節に関係する筋肉について調べてみた。
大腰筋、小腰筋、腸骨筋、大殿筋、中殿筋、小殿筋、大腿筋膜張筋、梨状筋、上双子筋、内閉鎖筋、下双子筋、大腿方形筋、縫工筋、恥骨筋、長内転筋、短内転筋、大内転筋、薄筋、外閉鎖筋
今回参考にした本「筋肉のしくみ・はたらき事典」はカラーで筋肉と骨の関係が立体的に書かれてあり、起始・停止、支配神経、主な働き、特徴が簡潔に書かれていて分かりやすい。
筋肉の起始・停止は骨だけだと思っていたが、隣接する筋の筋膜や腱にもあることにビックリした。筋肉って本当に全部が繋がっているのだ。
「呼吸筋というものはなく、全身の筋肉が呼吸に作用しているのです」との先生の言葉が蘇る。
解剖図を見ることでそのことがより深く理解できた。
鍛錬には質と量の両方が要求される。が、生活雑事や仕事などで思うように鍛錬の時間を取れない。その分、解剖など理論面を確り勉強し、鍛錬の質を向上させていきたいと思う。
2010年1月11日 今井博子
spb-0034 at 12:18|Permalink│
2010年01月11日
大阪支部鍛錬記 1月
気合の力
今年で大阪支部に通うようになって3年目になります。
最近になって、やっと肥田式の鍛錬が日々の生活の中で習慣化してきました。何事も習慣になるまでがなかなか一苦労です。飛行機やロケットが飛び立つためには、最初に一番の加速を必要とします。しかし、軌道にのってしまえば、そのまま飛んでいることができます。
肥田式強健術は基本は一人での鍛錬であるため、鍛錬をするのかしないかは自分の意思にかかっています。このため、特に最初は動き方が悪くて体が痛くなったり、仕事が忙しくなったりすると、しだいに鍛錬から遠のいて、結局、鍛錬を辞めてしまうことになります。
本来、怠け者の私ですが、どうしても自分の中で変えたい部分があり、そのためには肥田式しかないと思っていたため、なんとか続けてこれた次第です。そして何よりも、佐々木先生の適切な指導と、そして信貴さんをはじめ、大阪支部の方々の励ましのおかげだと思います。
石の上にも3年と言いますが、なんとか日々の鍛錬に耐えられる体力はついてきたと思います。それと、少しずつではありますが、上半身の力が抜けてきました。
私はすぐに力んでしまい、肩に力が入りやすく、上半身の力を抜くことが非常に下手です。そのため疲れやすく、イライラしやすかったので、何とか克服しようと思い、肥田式を始める前にも色々と努力をしてきましたが、なかなか改善されませんでした。
それでは、なぜ肥田式は効果があったのか?
それは気合があるからだと思います。
私は気合ができるようになったわけではありませんが、最近は肥田式強健術の型の中で、気合を発する時に息を吐ききるまではいきませんが、かなりの部分の息を吐くことができるようになりました。このため、以前より上半身の力を抜くことができるようになったわけです。上半身の力が抜けると本当に気分が爽快になるものだと、最近わかるようになりました。
その上、肥田式強健術の凄いところは、鍛錬後の疲労感が他の運動に比べて圧倒的に少ないということです。
例えば、マラソンにしろ、水泳にしろ、エアロビクスにしろ、激しい運動をすると疲労が蓄積されていきます。
しかし、肥田式はどんどん体が軽くなっていく。
これがまさに気合の力だと思います。
2010年1月9日 大阪支部 田代陽一



