2006年07月13日
心法気合道 春日大社奉納演武 ×舞花×
平成18年3月26日。
初春の奈良春日大社において、
佐々木了雲先生率いる我々肥田式一門は
春日大社世界遺産登録記念演武会に出演した。
これは、東京で強健術を学ぶ最若年修行者、
舞花が初めて経験した公式の舞台でのおもいを綴った演武会記である。
一読、ご笑覧されたし。
※ ※ ※ ※ ※ ※
目をあげた先には朝の山があった。黒に沈んだ影の頂上に丹塗りの鳥居だけが立っている。昇りかけの日は、その柱のあいだから、強い光線を山の裾にも、こちらにも投げかけている。その光のきらめきは、大量の蝶が一面に舞っている姿にも見えた。
鳥になった夢をみていた。蒼く草のしげる大地を俯瞰しながら三蓋山に向かって飛んでいたのは二時間ほどであったろうか。気がつくと裸同然でベッドに伏していた。ぬるいよだれの感触にハッとしてシーツをまさぐるが、慌てるほど汚れてはいない。頭をもたげると足の先には脱ぎ捨てた着物や帯が川の淵みたいに、いくつもの色を混ぜ合わせていた。
シルクの着物とはいえ着るためには帯やら襦袢やらいろいろ身につけるのだから窮屈なものだ。しかし着物を脱いだからといって、何も纏わないのもまた心地が悪い。ホテルの空内は乾燥していて素肌には寒く感じられた。
「畳むの、面倒だなあ。」
洋服は車のなかに置いてきてしまっていた。まともな文明人として駐車場に向かうためには、再び着付ける他にはない。そうでなければ、隣のベッドで眠る母が目覚めるのを待たなければならない。もう一度着物に目を向ける。首のない雛人形にも見える。この着物の前には演武会のために一腰の袴をつけていた。つまり、今日はこの部屋につくまでずっと古代人を演じていたのである。
東京の道場で演武の練習のために袴をつけているときに、先生が言っていた。
「こんな重たいもの身につけて・・・。いかに肥田式が素晴らしいかわかるだろ?」
佐々木了雲先生のもとで、ふだん肥田式強健術を学んでいるわたしは、Tシャツに短パンという、軽すぎるくらいの出で立ちで道場に立つ。先生もそれとさほど変わりない格好で鍛錬されていて、おおよそ「丹田を練る」などということを目的とする集団には一見して見えないのだが、しかし仰々しい装いを省いて全身をフルに伸縮させる効果的な鍛錬を実現させるのが肥田式の形骸化しない精神なのだ。
そんな我々がわざわざ神田の武道具屋に出向いて購入した白袴で身なりを繕ったのにはわけがあった。創設以来1200年の歴史を誇る春日大社が世界遺産に登録され、心法気合道の宗家であらせられる先生が、鎌足公との直接のご縁によって記念の演武会に出演されることになったのだ。あちらの世界では奇数が好い数字だということで、先生と、名古屋で強健術の指導をされている村上氏とに加えて、執念深く白羽の矢を吸い込んだ結果、東京の拙い門下生であるわたしがもったいなくも参加させていただけることになった。今回は、肥田式強健術としてではなく、心法気合道として演武に臨んだのである。
そのような大役を果たした人間とは思えないほどふぬけた体をして、わたしはまだ犬のようにベッドに転がっていた。演武会場では慣れない地面に足をとられ、冷え切った体から絞り出した気合もどきの発声は本殿に届くまでもなく広々とした空間に飲み込まれていった。しかしそんなことはどうでもよかった。心は満たされて、自分の得た感覚を思い起こすと口角があがる。春日の神霊がこの身に教えてくれたのは、心を一点にたぎらせることであった。
ぼんやりしているうちに母と弟が起きだした。母はわたしの服や荷物を取りに出て、弟はゆったりとテレビを見ている。ここ奈良ホテルは明治42年創業の由緒正しい老舗のホテルである。春日大社から山を下って車で数分のところにある丘の上で、広大な庭園を抱えてお殿様みたいにそびえ立っている。日本の殿様御殿とイギリス大貴族の屋敷をセンスよく合体させたような、東西の伝統美の結晶のような建物は、桃山御殿風総桧造りと呼ばれるらしい。ひとたび玄関をくぐれば、巨大な名画があちらこちらの壁を埋めて客人を圧倒する。さすが外国からの要人を迎えることを目的として建ったホテルだけあって、そのほとんどが達磨画や美人画など日本を誇るような作品ばかりである。本館と別館を繋ぐ赤じゅうたんの廊下には、壁に沿って皇室が訪問されたときの写真がパネルになって続いている。確かにここには学習院と似た雰囲気が漂っている。皇室の人びとというのは、生まれてからずっとこんなに趣味がよく格調高いものに囲まれて生きているのだろうか。そこにはただの奢侈や豪華絢爛とは違った、精神の気高さが感じられた。
駐車場から戻った母が、ホテルの部屋に備えてあるポットから水を飲んでたまげた声を出した。
「おいしいから、ちょっと飲んでみないや」
乾燥に嫌気のさしていた喉が了解すると、グラスに水を受けて飲み干した。
「はあー・・・おいし。」
からだとそのまわりがパアっと澄むみたいだった。昨日お参りした東大寺の二月堂に三蓋山の原生林が蓄えた水が湧き出ているのを見かけたが、奈良の水にこんなにエネルギーがあるとは。ふしぎだが、水だけで身も心も満たされてしまうようで、贅沢をしたいというような食欲も貪欲さも失せてしまった。ミネラルウォーターの旨さを知る味感覚とは別次元に、経済観念上の水のありがたさとは格別に、無条件に注がれるエネルギーに自分の全てが歓び出すようだった。そこには「もったいない」という否定的な感情が湧かない。頭で考えて得られるようなありがたさではなかった。そんなのは人間をひどくちぢこまらせて生命力を奪うようなものだ。感じたままによろこびや感謝を、文化に、建造物に、生きかたに、あらわしたのが奈良の古代人だったのだろう。そして、またそれだけのエネルギーある環境に恵まれたのも彼らであった。しかしこうして一杯の水に満たされていると、現代に生きる我々にも大自然の恵みを受けて歓ぶ日本人の心が受け継がれているのだと感じる。大和民族の心を歓び出させるもの、それが山河に宿る、神という大なるエネルギーなのだろう。そのエネルギーを受けて、現し身によろこびを体現させるために必要な精神の高揚と集中を練るということが先生の教えであったのだと、不届きな若年修行者なりにも理解したのだった。
清らかで何よりも強く光る白を纏った先生が、玉串を終えて祭壇から降りてくる。その姿からは数千年も昔からどっしりと根をおろす大木の霊気があふれていた。神域に植わった大杉よりも永く息づいている気合人の伝統が醸す霊気である。直会殿の畳のうえで息をひそめて見守っていたわたしは、そこではじめて先生という大木の概観を目の当たりにしたような気がした。ああ、やっぱりわたしの先生は日本一だ、という率直な確信がつぶやきとなって洩れた。自分の心をひとつに凝縮して相対するものに注ぎ込む能力こそ、人間に内在する最も尊く天に近い資質である。
本番を待って控えていると、先生から足袋を履いておきなさいと言われた。三月下旬とはいえ、午前中の春日大社は素足では寒い。おまけにすこし雲も出ている。直会殿から一段下がった畳の間に据えられたストーブに寄り添って、懐に入れておいたゴム足袋を取り出す。自分の靴よりひとまわり小さいサイズの足袋を履いて、アキレス腱のあたりにある「こはぜ」という留め金をとめる。足全体がきゅっと締まって、白い生地に指の形がうっすらと浮き出す。きつめの足袋を履くと足の指に力が入るのだと、練習のときに先生から教わった。床に座って足袋を履いていると、袴の帯が緩んで心許なくなってきた。袴がゆるんできちゃったんですけど、と先生に不安な表情で訴えると、また締め直せばいいじゃないか、とゆったりとした答えが返ってきた。緊張はしていなかったが、見苦しくならないようにしなければという気持ちだけはあった。
本番前夜に先生から受けた注意はごくシンプルなものだった。抜刀術と気合応用強健術の手順の確認以外には、ご神前に上がる際の最低限の礼儀作法と、刀を扱ううえで人に切先を向けるのを避けるように気を付けなさいということだけだった。とにかく細かいことは気に留めず、心酔没頭することが神を喜ばせる演武になるということなのだ。「こころを込める」と先生は仰ったが、その意味がその日一日奈良めぐりをしてわかったような気持ちになっていた。この日はじめて演武者が勢揃いしたのだが、結局三名で合わせ稽古をする時間にも場所にも恵まれず仕舞いだった。わたしは夜から高速に乗ってその日の早朝に奈良に着き、睡眠不足のまま先生たちにくっついてあちこちを歩き回り、三蓋山の中腹にある宿に落ち着いたときにはくたびれ果てていた。寝る前に一度ひとりで通して確認を、とおもっていたのだが、段々とその必要性が薄れていくように感じた。
奈良に着いて早々に訪れた法隆寺では、粛然とそびえる塔のまわりに、静かな空気を乱す者もおらず、目を惑わす桜の花もなく、ゆったりと古代の建造物を眺めていると、その創作の荘厳さや巧みさに一々驚き、自然や聖人に対する人びとの想いの凄さに迫られるような感じがした。その他の神社仏閣、宝物や建築を見ても然りであった。単に由緒あるとか美しいとかいうことではなくて、見る者をハッとさせる何かが込められている。それが長い月日を経ても守り伝えられるだけの価値をもつゆえんなのだ。
わたしはくたくたの身体で畳の部屋に座った。風呂で温まってもなお、ずんとした疲労感がとりついていた。刀を取り出しておさらいするわけでもなく、演武の手順を一からイメージトレーニングするわけでもなく、目を開けてどこか一点をみつめたまま動くことができなかった。ほどなくして、来客があった。それはドアをノックすることもなく、わたしの背後からゆっくりと存在感を増していった。ちょうど三蓋山に背をむけて座っていたから、山だったのかもしれない。ともかく、明日は特別な場所で、神さまを前にして演武をするんだという自覚が沸き起こったのである。確率というよりは縁という言葉であらわすべき摩訶不思議な引力によって、自分が今ここに座っていること。そして、昼間に訪れた古代人の遺産から感じ取った想い。そうしたことがじわりと心に染み入ってきて混じりあい、瑣末なことがらを排してしまうような集中力を生成した。とにかく明日は、春日に宿る神という一点に心をたぎらせ、真剣誠実に演武をしよう。それだけを確認すると、重くて自分のものでないような身体を横たえて眠った。
先生と村上氏に続いて直会殿の前に繋がる通路に出た。それまで畳で控えている間じゅう、前夜の集中力を取り戻すように黙って気を充たしていた。外に出ると、寒さに全身の骨が震えた。歯はガクガクしていた。もしかしたら、身体は緊張していたのかもしれない。しかし、気持ちは神懸からんとするほどにたぎっていたから、おのずと顔面が引き締まった。目が開き、口が結ばれて、鼻孔が開くのがわかった。まるで東大寺の仁王である。こうしていると、見るもの聞くもの感じるものが一段鋭敏に受容できるような気がした。この心意気だ。先生が普段の稽古に注いでいるのは。わたしの中の本気や真剣というものが、これだけの場と空気とに気圧されてはじめて引き出された感があった。先生に言葉で教えられても自覚できなかったこの感覚は、あたかも東京の水道水をもったいないと教えられてもわからなかった本当の水のありがたさのようだった。体感、実感。それを学びと先生は言っているのだ。
神域のりんごの庭は玉砂利を払って、その懐に惜しげもなく我々を迎え入れた。雲が引いて、あたりがすっと明るさを取り戻した。観客もカメラもいないも同然であった。傍らに人の無きが若く、しかしその目前には確かに神が有った。そして、白袴と地面の白だけが見えていた。

※ ※ ※ ※ ※ ※
神殿に礼してゆっくりと歩き去る我々のあいだを一辻の風が通り抜けた。春日竜神が微笑したような、やわらかい風であった。

一泊して、奈良ホテルのレストランで朝食をとった。これまで泊ったところでは最上だね、と母と話していたのだが、料理や建物が素晴らしいのはもちろんのこと、それだけではなく従業員の接客態度にまで行き届いた高い精神性を感じたからそう言ったのである。仏像師や仏画師が仏に対する想いに心をたぎらせ、寝食もひとの評価も忘れて創作に打ち込んだ結果できあがった作品には魂が篭もる。それは実際に見るものが感じることができる、強烈なエネルギーである。それは神や仏に対する想いに限らないことだ、とおもう。恐らく奈良ホテルの客に対する想いの一途さが、一流の経営・接客態度となって表われているのであろうとわたしは感じる。同じように、本番前夜に我々演武者と、大阪で練丹会を主宰されている信貴氏の四人で会席を頂いた江戸三という料理旅館でも感じたことだ。奈良公園内の高台に小さな庵のような客室を点在させて、旅人をもてなす。奈良を味わう客人の五感の全てに配慮したこまやかさには、やはり平凡でない強い想いが背後に見られるのである。葛城に暮れる落日のスポットをまともに受けながら頂いた会席料理のおいしさには、自分の舌を疑うほどであった。
こうして古来神仏に対して注がれてきた想いというのは、日本人の素晴らしい仕事ぶりにも生かされている。人間に内在された能力を引き出すもの、それは想いのたぎりとわたしが感じるものである。ひとつのものに本当に身も心も捧げきってしまう瞬間、人間は偉大な能力を発揮する。そのような精神の集約をすることを鍛錬するのが心法気合道であり、肥田式の本質でもあるのだろう。だからこそこの学びは神に近い、日本一、もしくは世界一を誇っても恥じない、先人が残した大いなる遺産なのである。そういったことを実感として知り得たことに感謝して、日々の稽古から日常の生きざまにまで生かしていけるように、とおもう次第である。これからが鍛錬、鍛錬。
初春の奈良春日大社において、
佐々木了雲先生率いる我々肥田式一門は
春日大社世界遺産登録記念演武会に出演した。
これは、東京で強健術を学ぶ最若年修行者、
舞花が初めて経験した公式の舞台でのおもいを綴った演武会記である。
一読、ご笑覧されたし。
※ ※ ※ ※ ※ ※
目をあげた先には朝の山があった。黒に沈んだ影の頂上に丹塗りの鳥居だけが立っている。昇りかけの日は、その柱のあいだから、強い光線を山の裾にも、こちらにも投げかけている。その光のきらめきは、大量の蝶が一面に舞っている姿にも見えた。
鳥になった夢をみていた。蒼く草のしげる大地を俯瞰しながら三蓋山に向かって飛んでいたのは二時間ほどであったろうか。気がつくと裸同然でベッドに伏していた。ぬるいよだれの感触にハッとしてシーツをまさぐるが、慌てるほど汚れてはいない。頭をもたげると足の先には脱ぎ捨てた着物や帯が川の淵みたいに、いくつもの色を混ぜ合わせていた。
シルクの着物とはいえ着るためには帯やら襦袢やらいろいろ身につけるのだから窮屈なものだ。しかし着物を脱いだからといって、何も纏わないのもまた心地が悪い。ホテルの空内は乾燥していて素肌には寒く感じられた。
「畳むの、面倒だなあ。」
洋服は車のなかに置いてきてしまっていた。まともな文明人として駐車場に向かうためには、再び着付ける他にはない。そうでなければ、隣のベッドで眠る母が目覚めるのを待たなければならない。もう一度着物に目を向ける。首のない雛人形にも見える。この着物の前には演武会のために一腰の袴をつけていた。つまり、今日はこの部屋につくまでずっと古代人を演じていたのである。
東京の道場で演武の練習のために袴をつけているときに、先生が言っていた。「こんな重たいもの身につけて・・・。いかに肥田式が素晴らしいかわかるだろ?」
佐々木了雲先生のもとで、ふだん肥田式強健術を学んでいるわたしは、Tシャツに短パンという、軽すぎるくらいの出で立ちで道場に立つ。先生もそれとさほど変わりない格好で鍛錬されていて、おおよそ「丹田を練る」などということを目的とする集団には一見して見えないのだが、しかし仰々しい装いを省いて全身をフルに伸縮させる効果的な鍛錬を実現させるのが肥田式の形骸化しない精神なのだ。
そんな我々がわざわざ神田の武道具屋に出向いて購入した白袴で身なりを繕ったのにはわけがあった。創設以来1200年の歴史を誇る春日大社が世界遺産に登録され、心法気合道の宗家であらせられる先生が、鎌足公との直接のご縁によって記念の演武会に出演されることになったのだ。あちらの世界では奇数が好い数字だということで、先生と、名古屋で強健術の指導をされている村上氏とに加えて、執念深く白羽の矢を吸い込んだ結果、東京の拙い門下生であるわたしがもったいなくも参加させていただけることになった。今回は、肥田式強健術としてではなく、心法気合道として演武に臨んだのである。そのような大役を果たした人間とは思えないほどふぬけた体をして、わたしはまだ犬のようにベッドに転がっていた。演武会場では慣れない地面に足をとられ、冷え切った体から絞り出した気合もどきの発声は本殿に届くまでもなく広々とした空間に飲み込まれていった。しかしそんなことはどうでもよかった。心は満たされて、自分の得た感覚を思い起こすと口角があがる。春日の神霊がこの身に教えてくれたのは、心を一点にたぎらせることであった。
ぼんやりしているうちに母と弟が起きだした。母はわたしの服や荷物を取りに出て、弟はゆったりとテレビを見ている。ここ奈良ホテルは明治42年創業の由緒正しい老舗のホテルである。春日大社から山を下って車で数分のところにある丘の上で、広大な庭園を抱えてお殿様みたいにそびえ立っている。日本の殿様御殿とイギリス大貴族の屋敷をセンスよく合体させたような、東西の伝統美の結晶のような建物は、桃山御殿風総桧造りと呼ばれるらしい。ひとたび玄関をくぐれば、巨大な名画があちらこちらの壁を埋めて客人を圧倒する。さすが外国からの要人を迎えることを目的として建ったホテルだけあって、そのほとんどが達磨画や美人画など日本を誇るような作品ばかりである。本館と別館を繋ぐ赤じゅうたんの廊下には、壁に沿って皇室が訪問されたときの写真がパネルになって続いている。確かにここには学習院と似た雰囲気が漂っている。皇室の人びとというのは、生まれてからずっとこんなに趣味がよく格調高いものに囲まれて生きているのだろうか。そこにはただの奢侈や豪華絢爛とは違った、精神の気高さが感じられた。
駐車場から戻った母が、ホテルの部屋に備えてあるポットから水を飲んでたまげた声を出した。
「おいしいから、ちょっと飲んでみないや」
乾燥に嫌気のさしていた喉が了解すると、グラスに水を受けて飲み干した。
「はあー・・・おいし。」
からだとそのまわりがパアっと澄むみたいだった。昨日お参りした東大寺の二月堂に三蓋山の原生林が蓄えた水が湧き出ているのを見かけたが、奈良の水にこんなにエネルギーがあるとは。ふしぎだが、水だけで身も心も満たされてしまうようで、贅沢をしたいというような食欲も貪欲さも失せてしまった。ミネラルウォーターの旨さを知る味感覚とは別次元に、経済観念上の水のありがたさとは格別に、無条件に注がれるエネルギーに自分の全てが歓び出すようだった。そこには「もったいない」という否定的な感情が湧かない。頭で考えて得られるようなありがたさではなかった。そんなのは人間をひどくちぢこまらせて生命力を奪うようなものだ。感じたままによろこびや感謝を、文化に、建造物に、生きかたに、あらわしたのが奈良の古代人だったのだろう。そして、またそれだけのエネルギーある環境に恵まれたのも彼らであった。しかしこうして一杯の水に満たされていると、現代に生きる我々にも大自然の恵みを受けて歓ぶ日本人の心が受け継がれているのだと感じる。大和民族の心を歓び出させるもの、それが山河に宿る、神という大なるエネルギーなのだろう。そのエネルギーを受けて、現し身によろこびを体現させるために必要な精神の高揚と集中を練るということが先生の教えであったのだと、不届きな若年修行者なりにも理解したのだった。
清らかで何よりも強く光る白を纏った先生が、玉串を終えて祭壇から降りてくる。その姿からは数千年も昔からどっしりと根をおろす大木の霊気があふれていた。神域に植わった大杉よりも永く息づいている気合人の伝統が醸す霊気である。直会殿の畳のうえで息をひそめて見守っていたわたしは、そこではじめて先生という大木の概観を目の当たりにしたような気がした。ああ、やっぱりわたしの先生は日本一だ、という率直な確信がつぶやきとなって洩れた。自分の心をひとつに凝縮して相対するものに注ぎ込む能力こそ、人間に内在する最も尊く天に近い資質である。
本番を待って控えていると、先生から足袋を履いておきなさいと言われた。三月下旬とはいえ、午前中の春日大社は素足では寒い。おまけにすこし雲も出ている。直会殿から一段下がった畳の間に据えられたストーブに寄り添って、懐に入れておいたゴム足袋を取り出す。自分の靴よりひとまわり小さいサイズの足袋を履いて、アキレス腱のあたりにある「こはぜ」という留め金をとめる。足全体がきゅっと締まって、白い生地に指の形がうっすらと浮き出す。きつめの足袋を履くと足の指に力が入るのだと、練習のときに先生から教わった。床に座って足袋を履いていると、袴の帯が緩んで心許なくなってきた。袴がゆるんできちゃったんですけど、と先生に不安な表情で訴えると、また締め直せばいいじゃないか、とゆったりとした答えが返ってきた。緊張はしていなかったが、見苦しくならないようにしなければという気持ちだけはあった。
本番前夜に先生から受けた注意はごくシンプルなものだった。抜刀術と気合応用強健術の手順の確認以外には、ご神前に上がる際の最低限の礼儀作法と、刀を扱ううえで人に切先を向けるのを避けるように気を付けなさいということだけだった。とにかく細かいことは気に留めず、心酔没頭することが神を喜ばせる演武になるということなのだ。「こころを込める」と先生は仰ったが、その意味がその日一日奈良めぐりをしてわかったような気持ちになっていた。この日はじめて演武者が勢揃いしたのだが、結局三名で合わせ稽古をする時間にも場所にも恵まれず仕舞いだった。わたしは夜から高速に乗ってその日の早朝に奈良に着き、睡眠不足のまま先生たちにくっついてあちこちを歩き回り、三蓋山の中腹にある宿に落ち着いたときにはくたびれ果てていた。寝る前に一度ひとりで通して確認を、とおもっていたのだが、段々とその必要性が薄れていくように感じた。
奈良に着いて早々に訪れた法隆寺では、粛然とそびえる塔のまわりに、静かな空気を乱す者もおらず、目を惑わす桜の花もなく、ゆったりと古代の建造物を眺めていると、その創作の荘厳さや巧みさに一々驚き、自然や聖人に対する人びとの想いの凄さに迫られるような感じがした。その他の神社仏閣、宝物や建築を見ても然りであった。単に由緒あるとか美しいとかいうことではなくて、見る者をハッとさせる何かが込められている。それが長い月日を経ても守り伝えられるだけの価値をもつゆえんなのだ。わたしはくたくたの身体で畳の部屋に座った。風呂で温まってもなお、ずんとした疲労感がとりついていた。刀を取り出しておさらいするわけでもなく、演武の手順を一からイメージトレーニングするわけでもなく、目を開けてどこか一点をみつめたまま動くことができなかった。ほどなくして、来客があった。それはドアをノックすることもなく、わたしの背後からゆっくりと存在感を増していった。ちょうど三蓋山に背をむけて座っていたから、山だったのかもしれない。ともかく、明日は特別な場所で、神さまを前にして演武をするんだという自覚が沸き起こったのである。確率というよりは縁という言葉であらわすべき摩訶不思議な引力によって、自分が今ここに座っていること。そして、昼間に訪れた古代人の遺産から感じ取った想い。そうしたことがじわりと心に染み入ってきて混じりあい、瑣末なことがらを排してしまうような集中力を生成した。とにかく明日は、春日に宿る神という一点に心をたぎらせ、真剣誠実に演武をしよう。それだけを確認すると、重くて自分のものでないような身体を横たえて眠った。
先生と村上氏に続いて直会殿の前に繋がる通路に出た。それまで畳で控えている間じゅう、前夜の集中力を取り戻すように黙って気を充たしていた。外に出ると、寒さに全身の骨が震えた。歯はガクガクしていた。もしかしたら、身体は緊張していたのかもしれない。しかし、気持ちは神懸からんとするほどにたぎっていたから、おのずと顔面が引き締まった。目が開き、口が結ばれて、鼻孔が開くのがわかった。まるで東大寺の仁王である。こうしていると、見るもの聞くもの感じるものが一段鋭敏に受容できるような気がした。この心意気だ。先生が普段の稽古に注いでいるのは。わたしの中の本気や真剣というものが、これだけの場と空気とに気圧されてはじめて引き出された感があった。先生に言葉で教えられても自覚できなかったこの感覚は、あたかも東京の水道水をもったいないと教えられてもわからなかった本当の水のありがたさのようだった。体感、実感。それを学びと先生は言っているのだ。神域のりんごの庭は玉砂利を払って、その懐に惜しげもなく我々を迎え入れた。雲が引いて、あたりがすっと明るさを取り戻した。観客もカメラもいないも同然であった。傍らに人の無きが若く、しかしその目前には確かに神が有った。そして、白袴と地面の白だけが見えていた。

※ ※ ※ ※ ※ ※
神殿に礼してゆっくりと歩き去る我々のあいだを一辻の風が通り抜けた。春日竜神が微笑したような、やわらかい風であった。

一泊して、奈良ホテルのレストランで朝食をとった。これまで泊ったところでは最上だね、と母と話していたのだが、料理や建物が素晴らしいのはもちろんのこと、それだけではなく従業員の接客態度にまで行き届いた高い精神性を感じたからそう言ったのである。仏像師や仏画師が仏に対する想いに心をたぎらせ、寝食もひとの評価も忘れて創作に打ち込んだ結果できあがった作品には魂が篭もる。それは実際に見るものが感じることができる、強烈なエネルギーである。それは神や仏に対する想いに限らないことだ、とおもう。恐らく奈良ホテルの客に対する想いの一途さが、一流の経営・接客態度となって表われているのであろうとわたしは感じる。同じように、本番前夜に我々演武者と、大阪で練丹会を主宰されている信貴氏の四人で会席を頂いた江戸三という料理旅館でも感じたことだ。奈良公園内の高台に小さな庵のような客室を点在させて、旅人をもてなす。奈良を味わう客人の五感の全てに配慮したこまやかさには、やはり平凡でない強い想いが背後に見られるのである。葛城に暮れる落日のスポットをまともに受けながら頂いた会席料理のおいしさには、自分の舌を疑うほどであった。
こうして古来神仏に対して注がれてきた想いというのは、日本人の素晴らしい仕事ぶりにも生かされている。人間に内在された能力を引き出すもの、それは想いのたぎりとわたしが感じるものである。ひとつのものに本当に身も心も捧げきってしまう瞬間、人間は偉大な能力を発揮する。そのような精神の集約をすることを鍛錬するのが心法気合道であり、肥田式の本質でもあるのだろう。だからこそこの学びは神に近い、日本一、もしくは世界一を誇っても恥じない、先人が残した大いなる遺産なのである。そういったことを実感として知り得たことに感謝して、日々の稽古から日常の生きざまにまで生かしていけるように、とおもう次第である。これからが鍛錬、鍛錬。




