2006年06月05日

「鍛練を学ぶ者は人は変わりうる、を信じられるようになる!」

 
腰腹同量正中心の鍛練についての魅力や効果についてはこれまでも語ってきました。ですからここでは、この鍛練を確実に上達できる、体得できる間違いないところの学び方について、私自らが経験したことをお話ししてみたいとおもいます。

 まず、はじめにお話ししておきたいことがあります。それは、この鍛練を学ばれる方は「人は変わりうる!」、「この鍛練は人を丸ごと変える力を持っている!」と、いうことを心の底から信じられる人々の鍛練法である!のです。人は変わりうるのだ、ということを感動を持って確信できるからこそ真剣に学べもするのです。

ただ確実に、間違いなく上達できるといっても、平坦な障害のない一本道を歩めるということではなく、紆余曲折、試行錯誤は、進歩向上の当たり前の上達法だと知って下さい。心身を甘やかせては鍛練になりません。その甘えの状態から向上する能力は何一つありません。このことで巷の学び人から度々耳にすることがあります。それは「肥田春充先生は天才だから・・・。」、「春充先生は特別な人・・・。」などといって自らの進歩の無さを慰める言葉です。そのような方もいるのですからあえてくり返し申しますが「心身を丸ごと変えよう」という八大要件の体現を目的にしている肥田式強健術も、悟道の聖中心道も共に、ただの人を、凡人を、そこまで引っ張っていける力が、教えが内包している!という確信をもっているから、人生をかけても悔いがないと学べるのです。


「今、この一瞬が何よりも重要なのである!」

 聖中心道肥田式強健術すなわち腰腹同量正中心鍛練の創始者であらせられる肥田春充先生は、幼児期から虚弱で、死の直前まで病んだこともあり、あまりに骨と皮でヒョロヒョロのため「茅棒」と渾名されておりました。肉体上だけではなく精神も病んで、強度のノイローゼに到り死を夢見て劇薬を肌身から離さなかった、といわれております。そのような虚弱の状態から18才時に発憤され、筋肉の発達・内臓の壮健・皮膚の強靱・気力の充実・姿勢の調和・体格の均整・動作の敏活・精神の平静という八大要件を体現され、後には禅史上でも希な大悟徹底という境地にまで達せられました。この鍛練を学ばれる方はそのような事実があるのですから、心身丸ごとの大革命を信じられるのです。

 先生はお父上が医者であった関係で書庫の蔵書の生理学書・解剖学書を愛読書を読むが如く熟読した、と書かれておられます。その学術書を何度も繰り返し熟読してある日「ハッ」とした人生を一変する大いなる気づきに到りました。それは生理学書の中で「新陳代謝」の一行だったのです。その意味を知ることで「人は変わりうる!」と確信して本格的な鍛練に入られたのです。

 このような事実を知ることで心身改造は可能であると理解できるのなら、この鍛練を熱心に継続して学ぶ者には「昔は昔、今は今である」と、いいきれるのではとおもいます。新陳代謝は細胞だけはなく、心理的・精神的にもあるのです。それを阻害するのは視野狭窄症という嫉妬や差別、恐怖などを原因とする心因性の病です。人はとかく昔を指して、陰口や後ろ指を差しがちなのですが、この鍛練を学ぶ者だけにはまったく当てはまりません。何せ生きている限りは、全身60兆個といわれる細胞の新陳代謝はしゅんかん瞬間に休みなく行われている、という明白な事実があり、鍛練を学ぶ者は新陳代謝をさらに旺盛にしていのですから一般人よりも日々の変化も激しいといえるからです。ですからこの鍛練を学ぶ者は、今現在がどうなのか?がどのような状態なのか?が一番重要だということです。過去ではなく!今です。そして今なのです!この「新陳代謝」という生理の自然を最大限に活用する鍛練を学んでいながら、過去をいう者もいるとのことですが、それだけでも新陳代謝出来ていない、効果が出ていない、を自ら暴露しているわけです。

私などはそのような感慨を持って他人様の云々を聞いたり、読んだりしております。そうすると反面教師で、いろいろこれも勉強になりますね。はい!


「反省は進歩の力!」

確実に効果をだせる鍛練はやみくもにやってもダメなのです。自らの至らなさや、欠点、無癖でも七癖はあるといわれるところの心身の裡なる癖などを、自らの鍛練で培った観察力で少しずつ、僅かずつ、取り除いて行くことが何よりもやらなければいけないことです。新しい酒は、新しい革袋にです。心身をコップに例えるのなら「先ずはコップに入っている水を捨てなければ、新しい水は入らない」と、いう当たり前な事実です。白紙でなければ絵は描けない、という諺もありますよ。ところがです、いわれれば当たり前に理解できるこのような例えも、いざ自らのことになると忘れてしまい、新しい型や教えを学べば、充実する、改造できる、悟るなどという無様な他人依存のマニアル的学び方をしてしまう方もはなはだ多いのです。

才能も能力も他から得るのではありません。すべては自らの心身の裡に眠っているのです。自らを弱い、ダメだなどの思いや、さまざまな無癖七癖などがあり引き出せないだけなのです。自己の人生を信じて自己を冷静に観察する力を養う。そこに鍛練完成の基があるとおもうのです。

 冷静な観察力を得るためにも絶対に禁物なのが、固定観念や思い込みです。いったん思い込みで凝り固まると明白な事実が目の前にあっても見えません。ですからマニアル的学び方はしてはならないのです。一度そうだ!とおもったことは、そこを見なさいという忠告も耳に入りません。鍛練を学ぶ者にとり、思い込みと固定観念ほど怖いものはありません。伝統の鍛練ではそれに陥らせないために「覚えて忘れろ」と教えられます。この怖さは世間にざらにある事例ですから、いまさら改めていうこともないとおもいます。これらの原因は視野狭窄をおこしてしまったことなのですが、正直に告白しますと、初心の頃からしばらくは私もまた視野狭窄症に罹っておりました。


「知っていることと、出来るは違うのである!」


私はこの鍛練の第二代を継承された肥田道夫先生にほぼマンツーマンで学びました。そのなかでさまざまに教えを受けましたが、せっかくの学びも幼少時から学んできた武道や禅などの学びの癖や理論で理解するという思い込みをきたしてしまい、呼吸法は逆腹式でやるもの、姿勢は強引に腰を力任せに反らせていればいずれは反折する、という観念を固定化させていました。

人は自らが「出来ることしか理解できない」という事実があります。名人、達人といわれる方の教えも、それを学ぶ方の見識、鍛練度という当人の実力の範囲でしか、本当の意味を理解できていないのです。本も参考文献を読んでも同じ事がいえます。ただ知っている、理解できているつもりになっているだけなのです。ところがそのような出来てもいないのに耳学問で知識がいっぱいあり、本を読み単語を覚えて出来ている、と思い込んでしまったために、自分の鍛練していることは正しい、このままやっていけばいずれは教えられたことが体得できると思い込んでしまいました。例えば泳ぎを考えてみますと、本を読みこんで泳法や水への対応が理解できたからといって、実際に水の中に入って泳げるのでしょうか?このような泳ぎを「畳み水練」といいますが、誰が考えても理論と実践は違う!ということは判るとおもいます。ところが私のように幼少時からさまざまな学びをしてきますと性格上のこともあり、どうしても慢心と人間性に由来する傲慢もあって、私なら簡単に出来る!と思い込んでしまったのです。そこから脱皮出来るまでには、相当な時間もかかりましたし、大変な努力も必要でした。ただ私にとって幸いだったのは、肩書きも、団体も創らなかった!独り学びをしてきた、ということが脱皮に成功して要因だったとおもいます。


「鍛練の基本とは何か?」

 まぁ〜とにかく視野狭窄症というのは、天賦を引き出そうという学びをしている者にとり、致命的な大変な重病です。

そのためにしなくてもよい紆余曲折をして、やっとある日の稽古で冷静になり「何か変だぞ?」、「自分は基本すら出来ていないではないか!」という、深いところからの疑問が誘起できるようになりました。そこから根本的なところからの反省が出来だして「井戸の蛙状態」から、やっと視野狭窄症候群から、一歩二歩と抜けることが出来ました。幸いなことに通夫先生からは全型(これは学んだ私の覚えが悪くて覚え間違いもあったのですが)と、理論的な面での全伝(これもまた勘違いが多々ありました)を学んでおりましたので、冷静に先生から学んだことを想い出して、自らの稽古に当てはめ自己観察そして反省、またまた観察そして反省するということを数年にわたり繰り返して、やっと腰腹同量正中心の鍛練の基本の基に立ち返ることが出来ました。

 人は誰でも間違いをします。それを反省することは少しも恥ずかしいことではないとおもいます。諺でも「間違いを知り、改めざるを間違いという」とあるようにです。

この鍛練は従来の鍛練や伝統の学び、健康上正しいとされる姿勢などの常識の範疇からはみ出たところも多々あります。その一例ともいえる「仙骨と腰椎との接合部の反折」などというところなど、そのはみ出たところは春充先生の緻密で微妙な観察力と経験により構築されたのですけれど、しかしそのために、従来の学びから見ると異端視されたりするのですね。せっかく良き指導者に付いて正しく学びながら・・・?、・・・?と浅はかな常識で考えてしまって、この鍛練からするとやってはならない事柄を取り入れたり、せっかくの学びを捨てたりなどもありました。基本が出来ると観察眼もできますから自信もつきます。そこまでは自らの見識や自信や経験は疑った方がいいですね。



「独り稽古こそ鍛練の本質である」

 春充先生は自らの経験に則して「この鍛練を学ぶ者は団体をつくるな!肩書きを名乗るな!」と、正しい学びの方法を示唆されておられます。これは、「鍛練とは自らが自らを省みて、至らなさを直すことを鍛練というのだ!」ということが、体得のエッセンスであるということです。鍛練を学ぶ者は、自己と向き合う、そこでは日々正直に自らの至らなさを見つけて直す!それを鍛練というのですから、毎日言うことが違ってきます。日々感じ反省して変わる、そのくり返しです。この鍛練において同じ事を言い、繰り返すなど鍛練をしていない証拠で、進歩も向上も出来ていないのです!そのような状態で肩書きを名乗り、団体を創ったらどうでしょうか?学ばれる方々が混乱することは目に見えているのではありませんか?団体としては成り立ちませんでしょう。指導している方がどんどん進歩している、教えられる方としてはどうして良いか判らなくなります。ですから団体をつくるな!と、老婆心から示唆されたのだとおもいます。この変化は八大要件体現と悟道を達成した時まで続くことで、それまでは感受性の向上で形成した観察眼で鍛練すれば、刻々変わるのです。

 ただ、この鍛練で人と共に学び、人に学ぶのは型、動作、呼吸、姿勢の要諦を指導され、質疑応答のなかで反省点や今後進むべき方針を決めるためです。ある程度の観察眼と全型の要諦を学ぶことは絶対に必要だとおもいます。とくに聖中心道系の鍛練では気合がベースで学ばれます。これは気合が現在の学びの中では広く見回しても、見たことも聞いたこともなくて見当もつかないからです。目的を悟道におくのならば、気合は必須ですからそれなりに知っておかないと、そこそこも行かないうちに行き詰まります。気合以外の学びでは、腰腹同量正中心の鍛練は独り面壁でが、原則です。それは自らの心身を冷静に観察する事は、人とでは出来ない!という当たり前の事実だからです。

効果を現出する鍛練、八大要件や悟道の体得は、自らを冷静に観察して微妙なところを直してゆく。外面の至らなさは他人でも指摘してくれますが、心身改造の体得や効果のほとんどが内面の問題で、上達に随ってさらに、さらに奥深くの観察、反省と直しが必要となります。このような学びこそ自己と向きい、心身を丸ごと改造できるところの鍛練なのです。感覚を鈍くして、集中力を散漫にする固定観念と思い込みを捨てる!さらに視野狭窄症に陥らないためにも反省こそ鍛練の効果を引き出す力であることを知って下さい。


「全型を学ぶ!」

 八大要件体現の肥田式強健術は「簡易強健術」、「呼吸操練法」、「気合応用強健術」、「イス運動法」の四つの型により構成されております。この四つの型それぞれに呼吸も運動法もまったく異なります。それぞれの型で鍛練方法が異なるのですから、肥田式強健術を学ぶ者は構成する全型を一つとして、個々の型に偏らずバランス良くやりこんでこそ八大要件の体現が容易になります。このことは先生のご著書を読まれれば判ることです。

現在は簡易強健術のみが一人歩きして広まり、肥田式といえば「簡易強健術型」をいう方がじつに多いのです。健康法で学ばれるのなら簡易強健術のみの鍛練でも十分な効果はあります。がしかしです、簡易強健術型のみの鍛練だけでは、どれほど熱心にやり込んでも八大要件は体現できません。目的に応じて学ぶことの重要性をいうのはそこにあります。肥田式強健術そのものが生理・解剖・力学に照らして合理の極致にありますから、全型を学ぶことそれ自体なんら難しくありません。型に付随する姿勢の取り方、呼吸筋の動かし方などを学んでも、たいして時間もかからないで覚えられるとおもいます。

 とくに指導を志し、実際の指導にあたっては外面から見ての姿勢こそ共通にみえますが、呼吸はかなり違います。呼吸の要諦が身体で理解できるようになると腰椎4番、5番の反折も促進されてきます。呼吸を促すのは呼吸筋の作用で、表層から深層部まで層をなして組織されています。肥田式強健術の生理的目的である「新陳代謝」も、呼吸筋群の活動に左右されます。ところが呼吸筋群は姿勢や動作と違い、皮膚の内側で普通は服を着ていますので、外部からは見ることが出来ません。このような内部の状態を知るのにもっともよい方法は「自らが体験する」ということです。どんな理論も知識も内面を実感として知り得るまでにはいたりません。

 一方向だけの経験では観察が偏ります。全方位からの観察と反省があってこそ、鍛練の法則に即した正しい学びができるのです。この鍛練を本格的に学ぶのならば「簡易強健術」、「呼吸操練法」、「気合応用強健術」、「イス運動法」の四つの型を一つの型として学ばれることをお勧めいたします。





spb-0034 at 09:02 │この記事をクリップ! 聖中心道肥田式強健術 
聖中心道肥田式強健術     免許皆伝者 佐々木了雲


(ささきりょううん)

昭和22年8月生

「丹田研究所」主宰

聖中心道肥田式強健術・天真療法伝承師範。道統二代目継承者肥田道夫先生より唯一人全伝終了を証明する認可状と大看板を1991年に拝受。

最新刊『肥田式強健術』(BAB出版刊)と、基本習得ビデオ/DVD全7巻シリーズ(各45分)を主演にて完成。その他、丹田関連の著作多数あり。奉納・公開演武も全国的に展開している。


講座のお問い合わせ・お申し込みは事務局までお寄せください