2008年05月21日
大阪支部鍛錬記(5)
5月第二土曜日開催の大阪教室で講演された、佐々木先生のお話しをまとめました。この原稿は、皆さんの鍛錬にも参考になるとおもいますので、先生の許可をいただき公開することにしました。
肥田式は理学を実学で検証をする科学実験同様です
肥田式を鍛錬しているほとんどの人が誤解していることは、肥田式を感覚的、たんに一個人が努力や才能で組み立てられた巷の運動法や才能開発法だと勘違いしている点です。
分かりやくいうのならば、この鍛錬は誰の上にも普遍的な理学と実学が矛盾なく統一された実践科学であるということです。ですから、今までもうしておりますところのただ型を一生懸命にやっても、型が上手になるだけで、満足のいく効果を得られません。
肥田式の鍛錬で何が大切かというと、大切なことは、一つしかないのです。それはこの鍛錬の他に例を見ない最大特徴である武道の精華たる気合で腹腰同量聖中心の鍛錬を理合いに照らして緻密に行うということなのです。
そのことを理解するには、そのことを納得して判るには、基礎的なところだけで結構ですから生理・解剖学と力学を学んで知っておかないと、緻密なところが理解できないわけですね。
たとえば前腕筋の鍛錬で、右腕の手首を内側に曲げ、左手の拇指と人差し指にて右手首をくるりと回し込みながら前方に押し付けるようにする。これは作用反作用と角速度利用での動作ですが、この法則により筋力を使わずに落下速度を主体で前腕を鍛えているのです。
上腕二頭筋でも、同じことが言えます。
なぜ手首を内に曲げるのか?は生理と解剖を知ると「ウンなるほど!」と心から納得がいき、無駄を排除した力学的合理性に感嘆しますよ。理を知るたびに感嘆する、そのたびに熱意を新たにして一層のチャレンジが誘起する。
創始者の体育家、科学者としての天才ぶりに感動です。
この鍛錬を外から見ていると豪快に映りますから、力を込めるモノとおもってしまうのです。生理・解剖・力学の基礎を知っているだけでも動作が違って来て、進歩が著しくなります。
とにかく理を知らないと、力ばかり入れるか、意識的脱力かどちらかですね。とくにこの鍛錬独特な一筋の緊張時に、上半身にはまったく、決して力を入れないのです。肥田式強健術は、中心力の原形が生じるとき、つまり腰腹に力が入るときには、上半身の力は抜けているのです。
上半身の力が抜けないで、腹と腰だけに力は絶対に入らないのですね。このことは写真の姿勢からでも、動作でも声でも判ります。一般の人は見た目の姿勢が整えば、腰腹同量力になっていると思います。
しかし、これは体の外側だけであって体の中は違うのです。
腰腹同量力の生じている人間は、字を書かせても、姿勢動作からでも、声の強さとか響きが全然違います。上半身がぶれませんから日常の動作に隙がありません。
人間は足裏だけで立っているため、動いたときに姿勢を崩しやすいのですが、腰腹同量力が生じている人間は、支持底面の中央に重心が維持されるので姿勢を崩しにくいのです。つまりバランスがいいのです。これを、隙がないといいます。
重複を承知でくり返しますが、鍛錬には理論の理解が必要不可欠
鍛錬を効果的に継続することで大切なことは、肥田式の特徴を理学的見地から理解し、実技に反映してゆくことです。このことを以前から佐々木先生は、初歩的なことから繰り返し言われていますが、なかなか学んでいる方々にも理解されていません。
そのために佐々木先生の指導では、理論と実技の両輪を偏ることなく重んじて、基礎の基から何回も部分的な細部にまでも自ら実演して見せてくださり、その理合いも共に教えてくださいます。
佐々木先生はおっしゃいます。
「理ということが無くて効果体現の上達はない」と!
上達ということは、顕在力よりも無意識の世界である潜在能力の活性化、つまり、自分が深いところから変化向上していくことです。多くの人が肥田式の基盤にある理論を理解できていないために、闇雲に型を繰り返すことになってしまう。
肥田式は古いタイプの武道や運動法と異なっいるのを知るべきなのですが、慣習というか、思いこみというのか、従来のイメージで行ってしまっていのですね。
だから口だけ効果とか、感覚的効果とかで実際には全然、効果がないのです。肥田式の型は驚くほどに合理的です。その、合理性が理解できなければ効率性を阻害します。生理、解剖、力学、これらに基づく科学が肥田春充先生の本には、詳しく書いてあります。
でも、一般にはそのあたりが読みきれていません。型中心で、理論的なことは読み飛ばして見てしまうのです。
効果的鍛錬に気合が何故必要なのか
特に、肥田式の場合は武道の精華たる気合、それで腰腹同量聖中心の鍛錬を行います。もともと、武道の精華たる気合ができないことには、腰腹同量聖中心の鍛錬ということは不可能です。
嗜みがないとお叱りを承知でもうしますが、道夫先生はじめ諸先輩方のほとんどは気合ができませんでしたね。気合の重要性は知っていてもどの様にして体得すればよいか判っていなかった。わたしも肥田式を学んだ当時は気合の大切さが理解できないで型中心でやっていました。
後に、八幡野松ヶ岡上の肥田家道場で道夫先生に聖中心道肥田式強健術を学んでいる時に、ある日の雑談時に、「この鍛錬の真伝は、武道の精華たる気合をもって腰腹同量正中心の鍛錬をやるのであるが、気合学ぶのも、教えるのも難しくてわたしも勉強中です!」とおっしゃられておりました。
わたしはその時から武道の精華たる気合探求の旅に出たわけです。本日に至っても未だ旅の途中ですが、やっと九合目まで登り来て視界が開け、気合の本当の姿が判るようになりました。だからこそ皆さんに教えられるのですが、わたしが気合を理解して鍛錬できるのは、十代の後半に気合術という体系を学んだからです。
その時の学びをこの鍛錬に活用させて頂き完成に導いているわけです。
まぁともかく、鍛錬の中に気合がなければ「方は枝葉である」と示唆された型を繰り返すだけになります。しかし、気合があれば「型は極めて重要である」型となり、腰腹同量正中心の鍛錬を形成する基盤になるのです。
実際に腰腹同量力を作るには、加速によるエネルギーが必要です。気合の基本的要素を使うだけでかなりの加速を生むことができます。そして、反動によるエネルギーを生じることができるのです。ところが、気合がなければ、どうやって加速を生みだせばいいのでしょうか。
加速を作り出すのに筋力に力を入れて行わなければならないとすれば、それをやればやるほど、瞬息的速度を殺すことになります。くり返しますが、鍛錬による効果を引き出す加速を筋力では作り出せないのです。
くどいようですが、腰腹同量力を産み出す加速は筋力ではなくて、気合が牽引しなくてはなりません。これにより、初めて筋肉のコントロールが行え、各所の筋肉が締まる、緩む。緊縮と伸縮ということが、意志の元でスムーズに無理なく行えるのです。
それが合理的な動き。気合いで姿勢を形成し、気合で動作を誘導してゆくのが腰腹同量正中心の鍛錬ということです。だから、気合が、徹頭徹尾、習得できるように、深まるように心がけていかなければ、絶対というか、まったくというか、全然といってよいほど腹腰同量力は身につきませんね。
気合の2つの効果
上半身に力が入ると気合出せませんし、力が入っているだけ気合が弱くなります。しかし、上半身の力が抜ければ、気合は強力になり効果も大きいのです。ともかく実際にやってみると判るのですが、上半身に力が入れば入るほど、腰腹の力は抜けるのです。
ですから腰腹に力が入るということは、上半身の力が抜けたということです。腰腹に力が入ったということは、その分だけ上半身の力が抜けたということです。だから、気合を何のために行っているのかといえば、腰腹に力を入れるために行っているのです。それと共に気合は上半身の力を抜くためにも行っているのです。
このようなことは気合効果のホンの基礎的なことですが、それでも気合にはふたつの相反する役割があるということです。一つは力を入れるために、一つは力を抜くためですね。こんなことは初級的というか基礎的なことですが、こうゆうことがわからないと、気合を何のためにやるのかわかりません。
ただ、エイ、ヤーとやっているだけじゃないかということになる。しかし、このような初歩的なことでも解ってくると、気合というものがいかに真伝鍛錬に必要なものなのか。また、気合というものを、いかにして出すべきなのか。気合は、どうやって作り上げていくのかが解ってきます。これにより、春充先生が「武道の精華たる気合でこの鍛錬は行うのであると。」言われた意味が解ってくるのです。
鍛錬の効果を引き出すには、迫力が高まらなければダメです
聖中心道肥田式強健術。
この鍛錬を春充先生は武禅であると言われています。武の禅。それは、鍛錬それ自体に他を圧倒する迫力があるから、武禅というのです。名人の武というのは、緻密かつダイナミックで迫力がある動きです。素人的な迫力が無い動作ではこの鍛錬を学んでいる効果が無くてダメなのですね。
佐々木先生が公園で鍛錬しているときには気合を出さない含み気合でやっているそうですが「すばらしいですね。」とか、「何をやっているのですか。」と度々聞かれるのだそうです。
つい先日も自転車に乗った方が近づいてきて、「私は、中国に行き20年も気功法をやっていて、今は病人を治しているのですけど、こんな気の出る鍛錬は、見たことがない。中国のものですか?」と聞かれたため、「中国にこのようなものはないです。これは、日本独特の、武道や修験道の極意です。臍下丹田、徹底的に腹を練ることにより、多くの気がでるのです。」と答えられたそうです。
佐々木先生は言われます。
私の鍛錬を見て肥田式を知らない赤の他人にお褒め頂けるのは、何故だと思う?そこにあるのが鍛錬の迫力なんですよ。理屈も権威も肩書きも知らない通りすがりの方々が「すばらしい!」と感嘆してくれる。私の鍛錬に迫力が無ければ、すばらしい、なんて言ってくれない。
最近の先生の鍛錬は、聖中心道にシフトされたため、簡易強健の斜腹筋や、気合応用をバラバラにしたもの、聖中心道体系しかしていないそうです。しかし、それでも、人を感動させる迫力があるのです。
結論として鍛錬は、気合体得に重きを置いて学ぶようにすること!上手にやろうなどと動きを小さく纏めず、効果を出せるように、さらに、さらに、大きな動作を行えるように目指すことが必要どということです。頑張りましょう!
2008年5月17日 大阪支部 田代陽一
spb-0034 at 06:01
│
│丹田研究所 『大阪支部』




