2010年07月19日
肥田式強健術真伝 035
「肥田先生の気合をさらに二例ご紹介します」
肥田先生の父上は、医学修行で全国に名医を求めて遊学しておりましたが、医学と共に武術にも興味を持ち、遊学の途中に地元の武術家の評判を聞いて立ち寄ってもいます。
肥田先生の祖父は長州の寺侍でしたが、武術道楽で、忍術をはじめ武芸十八般を体得した名人だったとの記録があります。あまりの武術狂いで家産が傾いてしまい、肥田先生の父上は家の貧しさを見かね元服前にもかかわらず医学を志し、勤勉さと聡明さを藩医に認められて特別に教えを受け医師になったという経緯があります。幼少時から医学と武術で鍛えているだけに、他の武術に関しても一通りの教養と正邪を見抜く眼力があり、医学修行の傍ら武術達人の話を耳にすると訪ね、親交を結ぶに至るわけです。
肥田先生は医学と武術に造詣が深い父君から「本当に強い人は腹に力がある人、気合が出来る人」であることを幼少時から教えられます。先生の著作第二作目が「腹力体育法」(大正元年刊行)ですが、処女出版である「実験簡易強健術」(明治四十四年刊行)の表紙にもわざわざ目立つように赤枠で「気合術基礎」と記してあります。この鍛錬の基盤にあるのが「腹力」であり、「気合」であることが理解できると思います。
後年、肥田先生が心身改造法を志した時に、ただ健康を目的とするのではなく、歴史に表れる英雄や豪傑のような太っ腹で強壮な心身を創り上げることを目指して「強健術」と命名しました。また、2.26事件阻止後の襲撃の数々を振り返り「中心力護身法」を創り上げ、気合を持って不意の暴力から身を守る、護身を目的とした鍛錬体系を組み上げます。
この「中心力護身法」は一般に見られる武道型と異なり、力学での合理的な力の使い方で護身体系を組み上げてあります。この護身法は様々な状況を切り抜ける基本の手捌き体捌きの型としての表の動作と、伝統の武術で当て身という集約拳で急所を攻める裏の型とで構成されています。
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│肥田式強健術真伝



