鍛錬散文
2008年01月07日
2008年 明けましておめでとうございます
今年の稽古始めは正月二日から開始しましたが、早朝鍛錬の稽古場にしている「芦花公園」は風も穏やかで、寒い中にも例年よりも冷え込みの厳しさはないな!と感じて本日まできています。
私自身の稽古は、今年から『聖中心道』を主体とした鍛錬のプログラムを組み直しました。
と言うことは、今まで稽古してきた『肥田式強健術』のように「熟練して身体が自動的に動く」とは行かず、一動作ずつ要領を確認しての稽古となって、今まで以上の集中力と勘働きの必要性を感じております。
『聖中心道』鍛錬は、「肥田式強健術」と同じ基礎であり鍛錬法則である「腰腹同量正中心の鍛錬」を行うのですが、加速度の使い方に大きな違いがあります。
この「腰腹同量鍛練」に於ける加速は、「武道の精華たる気合」により体得し、活用向上させてゆくものです。
「気合」には数種類の方法があり、この鍛練のベースとなる気合は「長呼気合」を採用しております。
「長呼気合」は難しい気合で、ベルカントなどの発声法でも、大声で音程が変わらずに、響きを落とさずに、長く出し続けられるようになるまで、相当の練習時間が必要なのと同じです。
この鍛練でも発声の原則は何ら変わることなく、一息一息を区切っての「舜息気合」から入門し、だんだんと「長く勢いを出し続けられる」ように鍛錬してゆきます。
「気合の必要性」というか、「なぜ気合を学ばなければならないか?」と言えば、気合の支えが腰にあるからです。
大声やかけ声、叫び声は腹式呼吸で十分出せます。
しかし、音程の則った張りのある声、勢いがあるからこそ響きが佳い声を出すには、腹式呼吸や腹筋群の力だけでは出すことはできません。腹筋群の力に加えて、腰を「グイ!」と張る「腰腹同量力」が必要ということです。
この鍛練の創始者であらせられる「肥田春充」先生は、この鍛練の目的とするポイントを、「腰椎と仙椎との接合点の反折」と明解に指し示されておられます。
すでに現在の武道では、春充先生が申される「武道の精華たる気合」は、金の草鞋を履いて全国を歩き回っても見つかりません。これは稽古場の事情や伝承の欠落が原因だと思いますが、私は幸せなことに十代に「中臣の気合術」を学んだことがあり、気合の練修法、その本質や難しさなど、ホンのさわり程度ですが存じておりました。
その気合術修練があったからこそ、武道の精華たる気合で鍛錬するところの『聖中心道肥田式強健術』の真伝が理解できたのです。
一般に、気合は、エイ!ヤア!トオ!などと発声するとのイメージが定着しております。
ですが、「武道の精華たる気合」とはそのような発声ではなく、息で押し出されて声を突き破り、声の先に抜けた「息抜き」が独特の力強い響きを生みだします。
その息抜いた響きを「気合」と言うのです。
このためには、呼気に相当の勢いがなければ息抜きは生じません。ですから、加速的動作、腰を据えた姿勢、呼吸筋を総動員した呼吸力、の三位一体が必須ということです。
この「腰腹同量正中心の鍛錬」は、芸や術や技などの「外に力を放出する法」を学ぶ方法ではなく、「生じた力を漏らさずに裡に力を蓄える法」であり、それは人生を活生する「無芸の人」たるを学ぶ稽古です。
さて、「武道の精華たる気合」体得だけは、正直なところ、自らの五感を通して直に学ばないと一歩も進めません。
私はそのために、気合指導が行える場所を道場として、また地方にいて通えない方のために、年2回の合宿も開催しております。
2008年4月の『春期合宿』は、鍛錬の聖地「八幡野」で行います。
この鍛錬の指導者であります私自身が「登り来て未だ途上」の発展途上気合人でありますので、春充先生の気合とは雲泥の差がある身ではありますが、十分に手応えのある気合を発せられる段階まできておりますので、参加の皆様にはよくよく勉強になることと確信しています。
と言うことで、今年も昨年以上に、大いに意気軒昂に参りましょう!
2008年1月7日 了雲
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2007年12月17日
卒論 (其の十)
「腹力」そして『丹田力』の実際考 (1)
「腹力」で瞬間にでも鍛錬された後には、通常の語り声が「どこまでも響く」、また「感情を落ちつかせる心に響く声」となる。つまり腹力での声は、一般に話される声、芸事で作られた声、訓練された声、などとまったく異なる響き行く声なのである。
この腹力で発声されるところの響き行く声も、腹力の状態により
かつて、京大の文学部教授でヨーガの著作を出版されて有名な故佐保田先生が、大正時代の学生の頃、強度のノイローゼになったそうだ。
この大正時代、全国に高名だった方に『岡田式静座法』創始者で思想家の岡田虎二郎先生がおられた。
医師の元に通ってもいっこうに快方に向かわない病状に困り果て、友人から紹介されて、当時全国各地に所在があり、岡田先生自ら「静座社」という普及指導をされている会の一つ、京都静座社を尋ねてみることにした。
当時の静座社の様子を書いた本などを読むと、一般にとっては修行などどうでもよく、「ノイローゼが治る」、「風邪をひかなくなった」「丈夫になった」、「病気が治る」などの治療院替わりに通う方がほとんどだったという。
静座社では座布団上で姿勢を正し、タダ黙々と静座をした後に、岡田先生との質疑応答やお言葉を頂くというプログラムである。
佐保田先生は友人に誘われて来てみたが、タダ黙々と座るだけの時間は払っても払ってもの妄想で、ノイローゼが悪化すると「二度と来るまい!」と思ったところで静座の時間が終わり、岡田先生のお言葉が発せられた。
岡田先生のお声は部屋中に朗々と響き渡り、その声を耳にしたときに閃いたのが、仏教書に書かれている「釈尊の大梵声(伝説では釈迦は美声で声が通ったという)」とは、このような声をいうのだ!と陶酔してお聞きした、との文が残されている。
「岡田式静座法」は、単に座禅を正座でやる座法のようにいわれるのだが、さにあらずなのである。
岡田式では、肥田式同様に腰を反折するようにグッと押し込んで、下腹部に緊張感を与え、俗にいうところの「肚」を形成して上半身をその腰上に乗せるように座る方法が「静座」とされた。この静座の姿勢は、ちょうど『聖中心道肥田式強健術』の中心端座法と同じである。
ところがである。「岡田式静座法」が世に知られてくると、当時各界で活躍されていた有名人、文章家などが多く参加して、さらなる普及を図ろうということになった。そこで新たに「岡田式静座法」の特長や方法を出版で紹介する段になり、理屈を付与することとなった。
岡田式の悲劇はここから始まるのである。
つづく
2007年12月17日 了雲
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2007年11月27日
卒論 (其の九)
『武道の精華たる気合』の科学的見解に基づく体験的考察
「気合と気合術について」
この鍛練における気合の重要性は、春充先生29才時の三大学四学部卒業時すぐに出版された『実験簡易強健術』の表表紙に「気合術基礎」なる副題を付けたことで出発したことは前出した。
『実験簡易強健術』は先生が初めて世に問うた著作で、この著作の補完の意味で続けて出版された二作目の『腹力体育法』と双子の兄弟の関係にある。表題になった「腹力」は、「胆力」、「丹力」、「丹田力」のことで、腹力の目的は「裂帛の気合を誘起させる唯一絶対の力」なのである。
「気合術」という実技の方法のほとんどが「腹力の養成方法」なのである。
気合術でのパフォーマンスの一切は、「腹力が養成できた上での結果」からの術と技なのである。
「気合術」といえば、武道雑誌などで希に紹介される「遠アテ」や「気アテ」など、「遠くにいる人の身体にまったく触れずに気合一喝で卒倒させる」という派手なパフォーマンスから、不思議な秘伝や口伝などが伝承されていて、それらさえ学べば、たちどころに秘技、不思議が出来る如き、話があることは承知しているが、それらはすべてハッタリか嘘である。
何でお前はそんなことが言えるのか?と問われれば、それは私が十代の時に「心法気合術」という、藤原鎌足を生んだ中臣を祖とする気合術を学んだからだ。
「気合術」には武道的かつ護身的な面もあるが、内在する体系は山岳宗教や精神的修行体系として宗教的な面から学ばれてきたこともあり、極めて宗教臭い体系である。
その宗教の面や衣装をスッカリ外してしまい、鍛錬という見知から実技の部分を抜き出し、その学びの実技体系を見ると、「腹力の養成方法と腹力を活用しての表現方法または手段」となる。
その腹力養成方法のある面は、西洋の声楽発声法の練習法と似ているとも言える。
先日無くなったカンツォーネの大歌手ババロッティーにみられるベルカント歌唱法は、ボディーを共鳴腔にして、建物を空間を振動させる力が内在されている。
この空間の振動はマリアカラスや『愛の賛歌』で知られるエディットピアフなども生じさせることが出来た。だからこその大歌手といえるのである。だからこその感動が歓喜されるのである。
腹力から生み出される息吹きこそ気合であり、それが共鳴である。どれほどの大声でも共鳴は誘起できないのである。この息吹きの共鳴を激しくコントロールし、どれほど持続するなどが気合の上達と言える。
2007年11月27日 了雲
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2007年11月19日
卒論 (其の八)
『武道の精華たる気合』の科学的見解に基づく体験的考察
「気合成立の背景にある実父の影響について」
先生の父君であられる立玄(はるつね)は、幕末の長州藩に生まれた。資料では、幼少時より医学に志し、少年時からすでに天才の声が高い資質の持ち主であったという。医学を極めるため全国を行脚して、名医の許で洋方・漢方を共に学んだ名医であった。
蛤御門の変の後の江戸長州藩邸焼き討ち事件の際、たまたま藩邸に立ち寄っていた立玄は、友人の医師の手助けで終生の住まいとなる西桂村小沼に身を潜め、維新後にその地で家庭を持ち医院を開業したのである。
立玄の父は寺侍であったが、武道十八般をこなす達人で、忍術などの名人でもあった。
その影響もあり、立玄も武道に興味を持っていて、医学修行で全国を旅している合間に武道名人の元を尋ねて親交を結んでいる。中でも有名な名人として、尾道の住職ながら武道名人として名高かった「拳骨和尚」がいるが、この和尚には特に可愛がられたとの話が先生の著作に書かれている。
和尚は柔術と鎖鎌を特に得意としていたが、京都滞在時、町中で無法を押し通す新撰組局長近藤勇を殴り倒した逸話などがある。立玄は、医学修行の合間に親交を結んだ達人、名人から武道の本質が「気合」にあることを聞き、春充先生にも様々な武道家の話と共に「気合」についての逸話を語られておられたのである。
武道における気合の重要性とは、一体どこにあるのだろうか?
武道をはじめとする伝統の鍛錬ににおける気合の重要性には様々な内容があるが、その一端に当人が一生懸命やっているとおもっているギリギリの状態でも、「未だ裡に眠る火事場の馬鹿力誘起」がある。これを武道や芸能の方では「必死の気力」とも言うのである。
先生は初版本から集大成版の『聖中心道肥田式強健術・天真療法』に到る20数冊までのご著書の中で、この鍛練は「武道の精華たる気合で行うのである」と、度々に渡り語られておられた。
強健術鍛錬には、「進歩向上可能な鍛錬」と「普通の鍛錬」とがある。
「進歩向上が可能な鍛錬」とは、昨日の自分の状態をほんの少しでも超えられる鍛錬を言い、対して「普通の鍛錬」とは、昨日も本日も同じという、ラジオ体操のような、と表現できる鍛錬の意味を知らない内容をいうのである。
この鍛練を真摯に学ばれる鍛錬人とは、目を輝かし、毎回違うことを言い、違う動きをする。変化著しい学びありてこそ強健術鍛錬なのである、と理解している人なのである。
その学びの変化は「腹力で生み出される裂帛の気合」にある。型という固定したモノに命を吹き込むのは、腹力かつ気合であることを忘れてはならないとおもう。
『実験簡易強健術』の表表紙に、わざわざ『』付けで書かれた「気合術基礎」という意味についてであるが、現在ではほとんど見られない、というより全くみることが出来ない気合術は、巷の催眠術で演じる人橋のような硬直を誘発させる「瞬間催眠術」の様に捉える方も多い。また、エイ!ヤア!トオ!の気合で、斬りかかる人を倒すなどの小説に書かれていることが真伝であると思っている人も多いのである。
やることは派手だが、人生とも生活の改善とも、人格の育成ともに無縁な内容を、禅史上でも希なほどの境涯の大悟徹底をされた春充先生が、わざわざ『』付けで表表紙に書く必要があったのか?を考えてみれば、気合術という真意のほどが推測できるとおもうのである。
2007年11月19日 了雲
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2007年11月13日
卒論 (其の七)
『武道の精華たる気合』の科学的見解に基づく体験的考察
「呼吸法ではなく呼吸筋運動という発想」 その2
さて、肥田式強健術を形成する型の中で、『呼吸操練法』だけが、姿勢を変えながら、そのままで連続的動作を行う形式をとっている。
始めは仰臥姿勢から開始し、やがて側方へと姿勢を変え、再び仰臥姿勢に戻ることで、全呼吸筋を余すところなく十全に使い、全内臓をあらゆる角度から揉みほぐしてしまうのである。
正式に学ぶ『呼吸操練法』には、初級から上級までの段階がある。その学びの深さの度合いや理解度に随って進むことで、仰臥式での「自然体休養姿勢」と「正式自然呼吸法」(腹式・胸式・腹胸交互式の三法がある)とを組み合わせるなど、連続的操練を行うのである。
初級の裡は、胸部・腹部側の呼吸筋での操練がメインとなるが、学びが深くなるごとに、腰を主体とした背部呼吸筋群によって胸部・腹部呼吸筋を誘導するというように、体性神経系主体で自律神経系を誘導・調整するという段階を進めてゆくのである。
表層・深層部呼吸筋群による操練は、上半身と下半身を輪切りに真っ二つに分ける臓器である「横隔膜」を、上下そして前後左右、収縮そして展開することで、胸腔・腹腔内の全内臓をマッサージし、各臓器自体と周辺組織の血流を大いに促進すると共に、臓器支配神経の末梢部における過敏・鈍りをも調整して、結果的に、脳と臓器間の自律・迷走・体性の各神経系の求心性と遠心性両端の情報を健全化して、心身丸ごとの強健に到ってしまうのである。
操練による各神経系へのアプローチは、主に脳と腸を直結する迷走神経、前頭前野と全内臓に密な自律神経系の調整をおこない、意図しなくても極めて自然に「脳内神経伝達物質」を調整するにいたり、期せずして心身丸ごとの健全化が図れてしまうということが言える。
現在の医科学では、喜怒哀楽、やる気、積極性、好奇心などの感情、すなわち「情動に関わる前頭前野の動き」と「腸の調子」は密接であることが解ってきている。
医科学の脳腸直結の意味に照らし合わせても、気合による丹田形成操練の意味は大きいのである。
これは余談であるが、21世紀の医科学がさらに進歩し、「脳と腸の相関関係」が完全理解されることで、三千年という歴史をもつ東洋医学の真髄「丹田形成」の重要性が認識されると、自らの経験に照らして言い切れるのである。
何といっても、発生学から観ると、人は腸という消化器官から生じたという事実がある。
その器官に単純な神経が取り巻き、動きの幅が効率よく、様々な餌を食うことで消化器官から臓器が発生して、それをコントロールするのに神経が、さらに神経の端が膨らんで脳が、餌を求めて筋肉や脊髄が発生して、さらに高度な脳が今に到達したのである。
故に、「神経系の90%、神経系のほとんどは内臓の情報を脳に伝達するためにある!」と言われる消化器官の研究者もおられるのである。
「腸を征する者は脳ミソをも征す!」と言えるのである。
2007年11月13日 了雲
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2007年11月08日
卒論 (其の六)
『武道の精華たる気合』の科学的見解に基づく体験的考察
「呼吸法ではなく呼吸筋運動という発想」
肥田先生は鍛錬を開始するにあたり、生理学的要項である「新陳代謝」の促進に重きをおかれた。特に、胃腸を中心とした内臓の健全性を意識され、「呼吸法」をメインとして、胸部・腹部への自然呼吸と表層・深層部呼吸筋群の活生化に力を入れて、個性的かつ類をみないところの独特な『呼吸操練法型』を創り上げている。
実は、『肥田式強健術』に「呼吸操練法」ありてこそ、すでに武道では滅多に見られなくなった「武道の精華たる気合」の体得が可能だったのである。これはまた、肥田式強健術鍛錬特有の気合の体得には、「呼吸操練」という呼吸筋群運動は欠かすことができないということが言える。
先頃、舞踊家の先生の集まりで、是非にということで、私が『呼吸操練法』をお披露目させていただいた話をしたい。
その内容は、照れてクタクタになるほどの賞賛を給わったのだが、特に印象に残った表現が、「自然の山野に清流が流れる様で、渓谷や滝があり、さらにユッタリと大河をつくって大海に及ぶ! 実に美しい呼吸法なんですね!」とか、「龍神が躍動しているようだ!」と、ご覧になられていた先生方は、頭から足先までの全身の呼吸筋群を強調させることで躍動美が醸し出される柔軟な動きを感嘆された。
そして後に言われたことだが、その時おられた先生方のほとんどが、私の演ずる呼吸操練法での気合を聴いて「元気が出た!」とおっしゃられた。
元気が出た!ということは、道場の見学者などにも度々言われたことがある。
裂帛の気合は、空間が共鳴してその中の物質に共鳴現象を誘起し、その質量を変え得るということが体験されるのである。
また、この鍛錬における躍動美として表現される動作美は、創始者であらせられる春充先生の自然観と、生理・解剖・力学・幾何学などの近代科学を探究した結果から生み出されたものである。どこにも無理が懸からず、無駄もまたない。ただひたすらの鍛錬をやり込めばやり込むほど、フットに軽快、ハートに爽快、ヘッドに愉快の三快を堪能するのである。
さらに結構なお土産もあって、鍛錬で体得した自然随順の動作は、意識しなくても日々の立ち居振る舞いに美が生じるようになる、という副産物もある。
2007年11月8日 了雲
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2007年11月05日
卒論 (其の五)
『武道の精華たる気合』の科学的見解に基づく体験的考察
「気合重視の背景考」
春充先生は、幼少時から虚弱であらせられた。風邪から肺炎を誘発するなどして、死の淵をさまようことも数度であったという。
幼少時、多感であるべき少年期を絶望と共に成長せざるをえなかった先生は、18才の時、やっとのこと自分がおかれている状況と人生の現実に目覚め、自らを強烈に叱咤勉励して、心身の虚弱体質改善を志された。
それは国家に有意な人材たることを念頭に、独自に考案した気合と丹田を主体にした熱烈なる鍛錬で、驚くべきことに、2年にして村の青年と同じ体格にまでの改造を果たされたのである。
先生の鍛錬は、一般的な健康状態や体格のみの改造を目的としたのではなく、父から聞かされた英雄・豪傑の心胆を獲得することをも念頭におかれたので、更なる心身改造を図るべく、生涯を通して休みない鍛練を継続された。
先生が採用された驚くべき効果の改造方法は、実は身体深部の改造から着手したことによるのである。
普通の鍛錬や運動では、どれほど熱心にやってみたところで、わずか2年で、死を見ること数度の骨皮筋衛門的虚弱から農村の青年の体格に改造できるモノではない。この鍛錬を開始する時点で、すでに丹田活生の真伝である「腰腹同量力という日本が世界に誇る人類の文化遺産」のど真ん中を闊歩されておられたことが理解できるのである。
その丹田活生の真伝である「腰腹同量力獲得」ありてこそ、後に禅史上でも希といわれる境涯であるところの「大悟徹底」に悟入されたのである。
それまで培った「強健術」としての心身改造法から、悟入後は鍛錬指針をガラリと一変され、悟道、潜在能力開発、賢脳などを可能とする『聖中心道』を新たに加味して、『聖中心道肥田式強健術』を創始された。
それまでのどちらかというと顕在的見知からの心身鍛練を、さらに進めて顕在・潜在両面の開発が出来る画期的方法へと一変させたのである。
もともと先生は、自らの心身改造鍛練にあたり、明治に流行をみていたボディービルや精神的呼吸法に結果を求められなかった。なぜなら、先生の内臓があまりにも虚弱なために、虚弱者や半健康人が行う運動法ですら無理だったことにもよる、とおもえるのである。
それらの理由もあって、筋肉主体の運動や武道的鍛練法を採らなかったのである。
先生は自ら創始の鍛錬に世間一般の常識的なこと、流行によることを採らず、生理学、解剖学、力学を独学しつつ、近代科学の法則に随順した合理性を追求された。
山岳修験の秘技として、また武道の奥義として、密かに伝承していた『気合』という「瞬間的に生じる加速」を利用して、「緊張」と「弛緩」を活用したのである。
この鍛練では、「充実」と「純虚」と表現している、筋力によらない瞬息的加速による強緊張と、瞬時にそこから完全脱力をすることで、芯からのリラックスを繰り替えすのである。
それはまた、「気合」がもたらす瞬間の加速により「骨格を矯正」し、幼少時より身についてしまった「無癖七癖の矯正」と、新たな能力獲得のための「従来的な動きからの脱皮」、さらに休むことなく想起する思考を両断して「白紙での思考の転換」や「視野狭窄症からの開放」という効果も、裂帛の気合にはあるということなのだ。
2007年11月5日 了雲
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2007年10月29日
卒論 (其の四)
『武道の精華たる気合』の科学的見解に基づく体験的考察
「序論」
時は明治、世界のいたるところで黒船が活火山の如くにモウモウたる黒煙をたなびかせ、波を蹴立て走り回り、キンキラキンの光り物や金目のモノを望めば、王族や貴族なる権威を演出するマナーも知識もかなぐり捨てての国家丸ごとの強盗宜敷、問答無用に大砲をぶっ放すことでの植民地獲得の時代であった。
江戸の内懐で大砲をぶっぱなされ、硝煙を嗅がされた日本は、不平等きわまりない条約ながら植民地に陥ることだけはまぬがれる。明治維新、文明開化を行い、旧体制から脱皮し、国民皆兵などの新体制へと移行することで、やっとやっと日清・日露の二大戦争を勝ち取った。
欧米の模倣も含めて、諸事改革に邁進する騒乱ともいってよい明治の鉄と硝煙と国家の威信確立の世相を背景に、明治16年(1883)12月23日、山梨県南都留郡西桂村小沼において、鉄人・真男子・真の国士などと尊称された肥田春充先生がご誕生されたのである。期せずして春充先生ご誕生は基督生誕と重なる。
2007年10月29日 了雲
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2007年10月24日
卒論 (其の三)

思い起こせば、1991年の秋、『聖中心道研究所』なる、等身大の墨痕鮮やかな看板を二代目を継承された故肥田道夫先生より「全伝終了の証」として頂いた。されど私としては、鍛錬内容が伴わないことを自覚していたので、とてもではないが恥ずかしくて出せなかった。
この度の肥田式強健術卒論完了を期に、今後は堂々と表に飾ると共に、マッタク語られることがなかった『聖中心道』体系の学び方と魅力などについてユルユルと語り、あるいは書くなどしながら紹介したいとおもっている。
今までも肥田式強健術に関しては、何人かの指導者がすでに著作を出版しているし、創始者の肥田春充先生のご著書も復刻されている。視覚資材としてビデオやDVDも出されている。それらがあるのに今更「何故の参考資料ぞ!」とのご意見もあろうかとおもう。
されどである。後々を思い、僭越を承知であえて申しあげるのだが、『肥田式強健術』という鍛錬の肝心要、中枢、基盤について言及していない出版物がほとんどであって、教科書どころか参考資料にもならないのが現実である。
春充先生のご著書は漢文を基盤にしているので、現代人には難しいのである。それと実際に読み込むと解るのだが、運動をやったことがない初心者向けには書いておらず、ある程度の期間継続して、それなりに体得した鍛錬人にして理解できる格調と内容であるから、と言えるのである。
さて脱線しそうなので話を戻すが、「何んで?言及していないのか・・・」である。この卒論のテーマである「武道の精華たる気合」についてなのである。
『肥田式強健術』は、「武道の精華たる気合でやるのである!」と、創始者であられる肥田春充先生が申されておられるのに、それらの出版物のどのページにも、肝心要の気合修得のイロハはおろか、重要性についても言及していないのはどうしてか?
すでに武道界ですら希な気合が理解できないためか?
学ばずに年を経て、形式に流れているから語れないのか?どうか・・・!は、私にはハタ!とは解らない。が、私はだいぶ以前から、中心姿勢・動作・呼吸の三位一体で形成されている鍛錬型の修得同様に、「武道の精華たる気合」体得の学び方を記しておくことの重要性を痛感していたのである。
私はそれ故に、出版物やブログ、武道雑誌などを通じて機会をみては書いてきたが、編集方針や紙面の都合で断片に過ぎたところがママあった。この度、それらの文章を喜捨選択し、ここに一文として纏めるわけである。
さてだいぶ前置きが長くなった。
先ずは序論として、『肥田式強健術』において、何故に「武道の精華たる気合」を必要としたのか?その背景を探ることから書いてみたい。
2007年10月24日 了雲
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2007年10月22日
卒論 (其の二)
『武道の精華たる気合』の科学的見解に基づく体験的考察
私の鍛錬上の迷いや悩みのほとんどは、『肥田式強健術』という学びが、私が幼少時から学んできた古武道やヨーガや中国拳法、気功法などとは「まったく異なる鍛練方法であり、体系であった」から、であることを原因としている。
この鍛練の独特で個性的なところは後の本論の中で述べるが、なにせ現在広く学ばれている健康法や武道、修行法などとは基本から異なるのである。
私は学んで10年ほどはその違いの問題点を理解できないママに進んでしまい、あまりの不甲斐ない結果に、才能のNASAと感性の悪さに自己嫌悪に陥ることも度々であった。
まぁ、そういう期間を経て、あらゆるヘマをやり抜き、バカ、バカ、バカと罵りながら壁に頭を打ちつけているうちに壁がポコリと抜け、勢いよろしく目の前にあった真伝の領域にツンノメッテ没入できたことで、「何とか!」今日の卒業を迎えることが出来たのである。
そのようなヘマと間抜けの学びを経験してくると性格に変化が生じて、学んだことを秘伝!として教えず、自分を拝ませる権威を前面に出すなどの「意地悪な人」になるか、余計な苦労はしないで早く鍛錬の楽しさを味わい普及に協力してね!との「親切な人」になるのかが一般というものだ。
その一般の伝でいうところから見て、私は「親切に変身した」方であるとおもっている。それは、現在、全国に10名以上の指導者が育っているし、「武道の精華たる気合」修得目前という境遇で鍛錬されている指導者も数名だが、おられることで証明できるとおもっている。
だからと言って、自らの経験を親切の押しつけにならないように、されど他山の石とさせないように、「鍛錬に苦労は当たり前!」ながら、真伝修得は無駄なく、やらなくてもよい紆余曲折などは止めなさい!と、自らの恥を晒して記すことにしたのである。
同時に、現在指導している門下生の鍛錬指針として、また全国各地にあって独学で学ばれているであろう強健術鍛錬人達への参考資料に、ほとんど語られることが皆無の「要」ともいえる重要な「気合の真実」をここに公開することは、拙文ながら広く役に立つと信じている次第である。
今後、全国で学ばれる『肥田式強健術』の学び人達が、「腰腹同量力という日本が世界に誇る人類の世界遺産」の魅力に気づかれることで、または内在している隠れた効能が知られるなどで、この魅力と効果に富む心身丸ごとの鍛練法が大いに普及することを念願し綴るものである。
私は今後、「筋肉の発達」、「内臓の壮健」、「皮膚の強靱」、「気力の充実」、「動作の敏活」、「体格の均整」、「姿勢の調和」、「精神の平静」の八大要件の体得を目的に体系化された『肥田式強健術』を、還暦の年につつがなく卒業させていただき、この度、新たな学びとして悟道体系の『聖中心道』という学びに、真っ新の、初心に帰って学ぶこととなった。
2007年10月22日 了雲
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