初心者のための『肥田式強健術』
2006年01月23日
ブログ対談
肥田式を学び始める人は誰もが、観音様の手のひらに乗った孫悟空のようなものです。偉大なものに挑む勇気と幸運があるのだけれど、自分が対している観音様がどれほど大きいのかさえわからない。
肥田式の前では誰でもが初心者であり、同時に盲目であります。
「幻の超人養成法!」、「健脳法!」という斬新なキャッチフレーズをもつこの運動法は、一見、武道的な運動のイメージが、『丹田』や『気合』のもつミステリアスな雰囲気にとりまかれて、放ってはおけないような異彩を放っています。
その効果たるや一般にもてはやされる美容・健康にとどまらず、人間の根本改革を脳レベルでおこない、「超能力」や終局的には「悟り」に至るように体系づけられているので、年齢性別職業趣味を問わず、誰にだってクラクラするくらい魅力的なものです。
そこで多種多様な人々が肥田式の門を叩きに来られるわけですが、その「正体」となると、どうも雲をつかむようでわからないのがほとんどであると思います。
現在、全国でたくさんの方々が『肥田式強健術』の道場や合宿に参加され、またブログやメールマガジンを読まれていますが、最近では初心者の方や訪問者の方がブログを通して肥田式を知られることが多くなってきています。
ところが、肥田式を知るための重要な情報源であるブログの内容が専門的で難しい。
肥田式には独自の用語があって、その用語の説明は実際に経験しないとわからない、肥田式に特有な運動感覚であることがほとんどです。道場に通っている私でも直接質問しなければわからないことが多く、ましてや活字のみで肥田式の情報を得ている方にとっては、もう何がナンだかサッパリ、であって当然であろうと思います。
そうしたブログ読者の方の、「初心者用のコーナーか、入門者が理解できる話をお願いします!」という強い要望に応えるべく、また学ばれる皆様が肥田式という観音様の「お顔」だけでもご覧になって、はっきりとした目標の設定をされたり、各々に肥田式の価値を見出されたりできるようにと、今回、この「初心者のための肥田式強健術 ブログ対談」を企画しました。
佐々木先生への質問は、主に初心者の方々から質問内容をいろいろ募り、私(大槻舞花)が皆様を代表して質問させていただきました。
佐々木先生には、初心者が共通に陥りやすい学び方の問題や、結果を出すための本物の技術向上についてのことを中心にご回答をいただきました。
2006年1月23日
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肥田式強健術の要 『腰腹同量正中心の鍛錬』
舞:先生早速でございますが、まずは「初心者が絶対にこれだけは理解して取り組まなければ一歩も進まない!」という、「要」のことがらからお願いします。
佐:それではまず、もっとも重要な事柄からお話ししましょう。それは、肥田式強健術とは、『腰腹同量正中心の鍛練』のことだということです。
舞:ヨウフク・ドウリョウ、ですか・・・?
佐:初めから難しい言葉を使ってしまいましたが、これについては追って解説しましょう。とにかく、『腰腹同量正中心の鍛錬』というものが肥田式の命であるということをまず頭においていただきたいのです。
これが理論的にも、身体的にも、両立して完全に理解できない間は「強健術」ではなく、「強健術健康法」になっているのです。
舞:いくらがんばってお稽古しても、その『腰腹同量正中心の鍛錬』ということが理解できて、それに基づいて鍛錬できなければ、中身のない、殻だけのクルミみたいになってしまうということですね。
佐:そうです。肥田式強健術の実になるのがこれです。この鍛練は型の修得から入り、学んだ型を繰り返すことが鍛練となります。ですが、学んだ型は『腰腹同量正中心の鍛練』そのものではないのです。つまり、肥田式または強健術の型が出来ても、この鍛練を学ぶ目的である効果や結果は出せない、ということです。
舞:うーん、確かに肥田式ってたくさん型があるし、見た目のいい型はうまくできたらそれで満足してしまいそうですね。肥田式は、強健術は筋肉の発達・・・、から始まる『八大要件』を体現するために学ばれますよね。カッコよくできるだけではそういった効果がでないのですか・・・。
佐:『腰腹同量正中心の鍛練』が理解できないで、型のみを足の向きや開き方がどうのと厳密に図ってやったって、またいくら汗水垂らしても、感覚的効果しか出せません。効果があったと錯覚するだけで、本当のところ、肉体的には物理的に何の変化もありません。型をクルクルやっていたって、しょせんは無理なのです。
舞:そんなに単純なものではないのですね。しかしそうすると、まだ理解できない初心者が型をやることは無駄なんでしょうか?
佐:一般に普及しているヨガや太極拳などのように、健康法としての効果なら十分出せます。それらより合理的に考えてありますから、はるかに優れていると思いますよ。
「腰腹同量正中心の鍛練」を『真伝の学び』と申しますが、この真伝が欠落した型だけの「肥田式強健術健康法」では、筋肉の発達ではなくて筋肉の老化を防ぎ柔軟になる!となり、内臓の壮健は内臓の血流が高まり病気を予防する、となります。
舞:はぁ〜、肥田式強健術健康法ですか?!...、真伝を学べないと、みなさんこのレベルなのですよね。私も含めてですけれど・・・。
佐:それはそれでよろしいのではと思いますよ。
舞:しかし肥田式をやるからには健康法に留まらず、めざましい効果を得たいと思うのですが、一体、どう学んでいけばよいのでしょうか。私などはこれまで運動をまともに学んだことがありませんので、武道的な勘とかいったものもありませんし、『腰腹同量正中心の鍛錬』を理論的に説明されても、果たしてそれが自分の身体で体現できるのかどうか・・・。
佐:真伝の『腰腹同量正中心の鍛練』の型は、基本をキッチリとやりこまないと体得できません。今までも基本については書いてきましたから、ここで語らなくてもよろしいですね。
さて、とにかく型を学んでも真伝が学びきれないままで、勝手な解釈で何の効果も出せないままに指導していたり、健康法で終わってしまう方がほとんどです。
しかし、私の下で学ばれる方々は、「型が出来ることが基本をマスターしたこと」などと考える莫迦者はおりませんし、型が出来るだけでは真伝の代名詞である「腰腹同量正中心の鍛練」を体得したことにはならないということを知って、是非、基本をマスターして真伝に基づいた稽古が出来るようにしていただきたいと指導しております。
この辺りのことが理解できるかどうかが、初心者を脱皮して本当の物理的な効果と結果を体現する秘訣です。
舞:私も先日「君はまだ基本のキの字の途中くらいだよ」というお言葉をいただきました(笑)。ローマ字ならKとIの二文字分も成長できたということで、これからも時間をたっぷりとかけて基本を突き詰めていきたいとおもいます。
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ポッコリ腹の正体は ??
舞:女性からみての強健術を正直に言いますと、春充先生のようなダルマみたいな腹部になるのは非常に抵抗があるのですが・・・、お腹をださなければ効果や能力は出ないのですか?
これは深刻な問題ですよ。
佐:春充先生の腹部の話ね・・・。う〜ん、まず強健術に入門してきたときに、通常は創始者であらせられる肥田春充先生、継承者の通夫先生関係の色々な資料を見ますね。すると大概の方が、創始者の春充先生の写真を見るわけですね。
舞:ええ、私も入門してから拝見しました。とっても印象的ですよね。
佐:そうすると、上半身裸で「臍下丹田部」の腹がポッコリとなっているのがまず目に付きます。日本では腰を落とすお相撲さんや役者、芸能者、本当の武道家なんかがポッコリ腹をしているんだけれど、女性なんかはあれを見て「あんな腹つくるのは嫌だ」なんて言って・・・、だけど気合や型は面白そうだなんて入ってくる。
スタイル的に気に入らなくて大概みんな途中で止めてしまうんだ。
舞:現代社会では、お腹が出て喜ばれるのは妊婦だけですもんね。
佐:ポッコリ腹の正体が理解できると驚きますけれどね。何時かビックリするようなお話しをさせていただこうとおもいますが、今回はあえて内緒にしておきましょう。
舞:春充先生のお腹は、伝統を継承した「臍下丹田腹部」だと前にお聞きしました。でも、丹田なんて言っても何か抽象的ですし、「あそこには夢と脂肪が詰まってるんだよ」みたいな説明しかできないんじゃないですか?
佐:強健術は、民族の歴史とか鍛練の伝承とか、強健術理論を勉強すると、あのポッコリ腹は決して脂肪ではなくて、筋肉が重なり盛り上がってできる、要は解剖生理学に基づく科学的または合理的な力こぶと同じだってことがわかるんだ。
舞:ええっ、筋肉なんですか?あれは。
佐:ポッコリ腹の中でも、特に春充先生の様な下腹部に重厚なポッコリ腹を造るのはとても大変なことで、普通はとてもとてもあそこまでどころか、少々も欠片も造れないんですよ。まったく心配要らない、杞憂という話があるけれど、この質問はその典型だね。
舞:はあ、恐れ入りました。脂肪でも絵空事でもなく、鍛錬の結果としてあそこに筋肉ができるわけですね。
佐:相撲なんかもそうなんだけど、腰を落として下半身を強化し、足腰主体で運動する。そのような豪傑や金剛力士を造るところの腰腹文化の筋肉トレーニングだから可能なのです。東洋民族の伝統と西洋の運動理論では根本が全く異なっています。「人を丸ごと造り替えて裡なる力を開放してゆく」という、この鍛練の目的を押さえないと、ああいうご立派な腹の形態にならないんだ。
舞:強健術を真伝に基づいて、正しく真面目に鍛練すれば、誰でも?ポッコリお腹が出来るのですか?
佐:春充先生のポッコリ腹は、逆腹式の呼吸で作ったり、瞑想や観想で作ったりする普通の丹田形成の方法だと、とてもではないがああいう立派な腹筋にはならない。特に先生の場合は、三国志の英雄豪傑が鍛練した『気合』による実践的丹田形成法である、ということです。
舞:実際に使える筋肉を作るから実践的ですね。ウェート・トレーニングみたいなものですか?
佐:西洋で言えばウェート・トレーニングにあたるものになるだろうけれど、東洋では実用になる「役に立つ丹田形成の力技」と言って、人体に対する考え方や捉え方が西洋と東洋では根本的に違うのですね。そういう東洋民族の伝統を知っておやりにならないと、西洋的なウエートでの腹筋になってしまって、丹田部ポッコリ腹は出来ませんね。東洋の伝統の中でも、生命に直結した呼吸筋力を裡(うち)の深いところから練るトレーニングを本格的に積んだ「気合人」だけがああいうお腹になるんだ。
舞:じゃあ普通の女性や男性では、どんなにやってもあああいうポッコリ腹にはならなんですね。
佐:原理原則を正しく押さえてやって、なおかつ本源的な原点に立ち返って継続できないと、とてもとてもまったく全然無理ですね。現代人の西洋ナイズされた頭では、そこに入る基礎だけでも三年はかかります。春充先生のようなポッコリ腹など、絶対に、少しも、片鱗も出来ませんから安心しておやりなさい。春充先生を気にすることなく、人は人、自分は自分の目的を明確にして学びなさい。
舞:現代の若者気質というか風潮では、まったく無理だということですね。まぁ、春充先生のようには、なりたくても成れない、ということですね。
佐:人生いろいろ、人もそれぞれでしょ。この鍛練だって学ぶ目的はいろいろで、目的に合わせて効果や結果がそれぞれなのに、強健術を学ぶ方のほとんどが春充先生になるのが理想だと思っちゃうんだ。それって、すごく間違いで、春充先生は春充先生の個性なんだよ。
時代が人を創る、または生物の進化は環境が行う、と言いますでしょう。春充先生は先生なりの目的があって、型を形成して身体を造っていかれたわけです。現在の私なんかは悟道が目的で、『聖中心道体系』がもっぱらで、強健術の体系など普段は準備運動替わりしかやりません。求める目的が全然違うわけですよ。
ですから、筋肉の付き方も体型も異なりますが、それでよいのではと思いますがね。
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肥田式における科学性、合理性とは?
舞:先生の指導の中で毎回のように話される科学的、合理的などは、何を基準にして判断したらよいのですか?
佐:過去に私は、丹田の系譜やHARAに関する資料を様々に調べました。それは「肥田式強健術」って言っても、日本の伝統の一形態の体系なんだよね。ただし中枢の位置にある。
日本の丹田鍛錬と言うのは、現在やたらに科学的って言っているけど、筋力だとか生理的だとか解剖学的組織だとかっていうところからの脱皮が必要で、「動きと呼吸の合一」、「フィナーレに向かって加速的」、「美的で豪快」、「吸う息は腰胸式、吐息は腰腹式」という、真伝の基本の見地から型を観察すると誰でも納得します。論より証拠でしょう。
舞:伝統に対する無智と科学への盲信から、どうしても科学に裏付けされた概念に頼りがちになりますけれど、合理性というのは実際の運動から生まれるものですよね。それから運動にしても、きちんと本物の動きを見ることをしなければ、何がどう合理的なのかさえわかりませんね。
佐:骨董品なんかでもそうなんだけど、偽物が千あるうち本物はひとつしか出回らない。本物を見たことのある骨董商は違いがわかるけれど、偽物しか見たことがない人間には本物を見せられてもそうだとわからないんだ。だから本物の動きを見ることなしに偽物だけの知識で真伝に近づこうとしても、基準がないからわからないんだね。
舞:いくら肥田式が体系化されているとはいえ、本を読んだだけでは体得できませんものね・・・。春充先生のビデオなどが残っていますけど、それも素晴らしすぎて初心者が真似しても駄目なんだそうです。
佐々木先生も、ご自分のお稽古は目にも止まらぬ速さと気合でされていますが、道場では私たちにわかりやすいように、かなりゆっくりめの、しかし本物の強健術を見せていただけるのでありがたいですね。
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潜在能力を引き出す鍛錬の効果
舞:『八大要件』以外の、強健術鍛練の隠れた効果については何かありますか?
佐:鍛練には精神的な瞑想や観想、呼吸法を主体にする方法と、呼吸を主体にした肉体訓練などや滝行や峰歩きみたいなものまであります。ですが、ほとんで集中により直接能力を引き出そうとする方法です。それに対して肥田式強健術の鍛練は、物理的な訓練をすることで顕在能力を高める、能力を引き出すだけのエネルギーを造り出してコントロールするということが違うのですね。
人体も精神も物理的なモノですから、エネルギーが必要でしょう。ほとんどこのエネルギーという観点が欠落しているのです。
舞:なるほど。いきなり超人的な変身をするのではなくて、変身する能力を出すにもエネルギーが要るから、まずそれを造るために身体を使うんですね。
佐:それと重要なことは、人間って言うのは目に見えないけれど、潜在的な能力があるということ。そういう潜在能力を引き出していくんだ。
人間は持って生まれたままで自分が主体的に、自分の意志で五体を使っていくように見えるんだけど、公的機関で、家庭の中で様々にいろんな教育を受けると、常識や善悪、好き嫌いなどが生まれる。良くも悪くもこのような当たり前とも思えるところの教育っていうのは、技や術という身体の一部の使い方を習慣的にする訓練や擦り込み的思考法、洗脳的催眠術等など、現代的な意味のスキルを後天的に付与することで、本当の個性であるところの先天的な裡(うち)の自分を解放するようなものじゃないんだよね。
舞:子どもはあれしちゃいけない、これしちゃいけない、って言われて育ちますけれど、常識や学問の中でいう知識っていうやつですね。教育は受けるほどスキルが身につくけれど、自分を開放できるようには、まずなりませんね。
佐:現実に大学に行けば物理系があり、文系があり美系があり、ほとんどが生活の手段としての学びであるわけ。そんなもんだから、本来その人の持っている内在された素晴らしいものでも、教育を受けて圧縮されちゃって、上手く引き出せないでいるっていうのが多分にあるんだよね。
東洋では英雄や、神仙や、豪傑や、忍者や、戦士などに変身する、裡なる能力を引き出す体系があった、それが丹田鍛錬なんですよ。
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悟るってどういうことですか?
舞:佐々木先生の鍛練目的である「悟道」も潜在能力なんですか?
佐:アッハッハッ、悟道は潜在能力向上法ではないんだよ。
『聖中心道体系』には超能力という摩訶不思議能力覚醒法もあるのだけれど、悟道とは根本的に異なります。興味がありますか?あぁそぅ・・・、それでは悟道について分かり易くお話ししましょうね。
私はよく言うんだけど、常識や顕在能力は左脳的なんですね。現在の物理的な事柄っていうのは知識、知性の蓄積でやっていく。そうするとどうしても記憶の座といわれる左脳の訓練にならざるを得ないわけです。それが今の色々な科学的と称するものなんですよね。学校もそうですよ。
それに対して武道とか宗教とか哲学は本来は左脳的じゃなくて、感覚的なものなわけ。つまり感性ってやつ。そういうものは右脳的な訓練なんですよ。私がやっている悟道なんかも全部右脳的な訓練ですよ。だからこそやってて面白いし、充実した悔いのない人生観が養える、これは十全に生きる上で必要なことです。
舞:私は気分の浮き沈みが激しくて、道場に行ってお稽古したあとは浮き浮きしてても、次の日に学校で発表があって失敗したりすると一気に落ち込んじゃって・・・。頭でばっかり考えるもんだから、行き詰まりやすいんですよ。
それに引き換え、佐々木先生はいつどこでお会いしてもハツラツとしていらして、このひとは今朝生まれたんじゃないかとおもうくらいの新鮮さを常に感じます。これが佐々木先生の右脳的訓練の効果を私が傍で実感することのひとつです。
これって、ほんとにすごいことだと思いますよ! 悟りっていうとホトケに近づくイメージがありますけれど、佐々木先生の場合はイメージの反対。日々若く、元気になり、考えることもますますクリエイティブになっていかれるのはとても不思議ですよ。
佐:よく、悟ったら終わり、だなんていう莫迦が沢山いるんだけど、それは悟れなかった生臭坊主共がただ知識で言っているだけなんだ。一般のインテリなんかも知識の人で、理屈や論に弱いから、左脳的生臭坊主の言動にコロリとなる。
まぁ右脳的といえば過去に有名なところでは、白隠禅師、面白いところでは一休さんとかみんなそうなんだけど、悟った方っていうのは右脳的な感性でものを言っているから、言語的にはちょっとおかしなところがあるんだけども、やってることはすごいし、普通の人よりも実にダイナミックなんだよね。大胆であり、見てても豪快だしさ。またそのあとは美的だしね。その時代その時代では合わなくても、後から見るとなかなかたいしたものでさ。
それに対して知性とか知識っていうのは、その時代その時代にはぴたっと当てはまる部分はあるんだわ、確かに。しかしあまり人間として面白くないんだよね。でも人は社会常識の中で生きてて、百人いれば百の思想や哲学があって、そういうものをお互いに尊重しなきゃいけないから、そういう規範も必要で、あんまり右脳ばかりでやるとやっぱり生きにくくなりますよ。
だから左脳と右脳と使い分ければいいわけ。そういうブレーンのコントロールや全脳的訓練方法がが丹田鍛練です。それが道教を源としてるんだ。そういう歴史的な体系の継承があって聖中心道体系などがある。
聖中心の大悟徹底は「脳幹部思考停止」だから、全脳的で生命に直結している。言動のすべては脳に繋がる、そこから見るとこれは実に凄いことなんですよ。私はこれをして「人類の文化遺産である」と言っています。
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東洋の哲学と伝統に基づく体系
舞:丹田やHARAという意味の根本は道教だとお聞きしましたが?日本ではあまり道教がでてきませんよね。
佐:道教には二つの体系があるのです。
一つは現在中国や台湾で広く見られる道教です。それに対して記録としては春秋時代という紀元前770年〜紀元前476年頃に存在した、人類の発祥から伝承した宗教を教団としてやっていた古い伝統の威力ある道教です。これを古派道教とか古伝道教といいます。古派で代表的なのが墨子で、摩訶不思議を徹底的に訓練する教えです。
この古代道教が昔の日本に入ってきた。現在の学者なんかは日本で道教が根付かなかったっていうんだけど、そんなことはなくて、神道の中にも色んな呪法っていうのがあり、陰陽道があり、修験や武道なんかでも念力系統がある。
舞:へええ、そうだったんですか。武道に超能力だなんてなんか矛盾するような気もしますが…。
佐:いやいや、大体超能力がない武道なんて大したことないんだよ。肉体ばかり使っているようじゃ。とっさに危険や未来を予知する直感が働くようじゃなきゃ。技や実力を見切るってのは、みんな念力や予知能力などの摩訶不思議能力なんだから。攻防の中で実際に打ってくるのをぱっと避けるのは、上手とはいえないんだよね。達人は打つ前に察しなきゃいけない。殺気を感じるってよく言うけど、そういう能力を訓練するってことが昔はあったんだけどね、今は馬鹿馬鹿しい科学的とか西洋ナイズされて全然なくなっちゃったんだ。
舞:映画なんかではチャンチャンバラバラやってますから、そんなイメージの延長で武道を考えていたんですが、本当の勝負は予知の段階から決まっているものなのですね。
佐:昔の武道なんかは殺気を感じて、急所への攻撃だからね。胃のちょっと上に水月って部分があって、よく胃と間違えられるんだけど、胃なんかぶん殴ったって、そりゃあ苦しくて倒れるけどさ、それは気絶するんじゃないんだよね。水月は軽くぽーんと打っただけで、角度が良ければ気絶しちゃうんだよね。ガクンとヒザから崩れるように倒れる。だからこの鍛練の集約拳といっている関節の先の尖ったところで打つわけ。そういう急所っていうのと、K−1で見るような格闘技的な雑な打撃とは全然違う。質も鍛錬のしかたも違う。目的も違います。
舞:K−1は見せ物ですものね。
佐:こちらはそういう急所への攻撃だから、それをまた治す方法がある。この鍛練でも『強圧微動術』という治療法で急所の部位と角度深さを学び、『中心力護身法』で活用する。伝統に裏打ちされた武道というものは、殺(殺傷するもの)と治療というものが常に一体にあるんです。これが東洋的な哲学にのっとって体系づけられた伝統的なものか、科学と称する近代的(西洋的)な底の浅い雑な体系なのかの違いです。
舞:西洋主義の科学的観念なんて、徹底的な死を与えることだけを頭において武器をつくる程度ですからね。そんな哲学のない考え方に、我々は支配されているんですよね…。
佐:しかし今はどこの国も古典主義になりつつあるんですよ。インドなんかでもイギリスに200年統治されて、徹底的にイギリスに搾取され、民族は奴隷にされたわけです。そのためにインド伝来のものは習うのを禁止する愚民政策が行われたんです。歴史をみるとそれはものすごいものですよ。インド伝来の武術でカラリア・パットゥっていうのがあったんだけど、それなんかも禁止して。教えたり学んだだけで死刑です。ですから地下に潜ってゲリラが秘密に学んだわけです。イギリスから見れば「ゲリラ=カラリア・パットゥ習っている奴」だから、カラリア・パットゥの達人はみんな地下に潜って、一子相伝で少数に教えていった。このごろやっと伝来のインド武術や治療法アーユルヴェーダを国術、国技として復興させようっていう運動が盛んになってきています。
舞:イギリスの侵略は伝統文化にまで及んでいたんですね。表面的な政治の歴史しか注目していませんでしたが…。
佐:ヨーロッパの繁栄も産業革命も、南米の金と銀鉱山の搾取で成り立っている。話を日本に戻すと、我が国も明治維新があって文明開化のかけ声で徹底的に西洋ナイズされた。ところが明治の半ばくらいになったら、ちょっとそれはおかしいよってことで、また国風運動、日本人は日本人じゃなきゃいけないっていう愛国主義が出てくるんだよね。その反動で次に大正年間になったら大正モダニズムでアメリカナイズされるんですよ。それでまた昭和になってくるとまた反省でまた国粋主義になって。それで戦争に負けてアメリカナイズされて。常にこういう風にやってコロコロ転がって、こっちの表のときは国粋主義、こっちの裏では西洋ニズムでさ。ぐるぐる回っているだけなんだよ。
日本の歴史なんか見てると、常にそう。聖徳太子の昔からそうなんだから。中国からの文字もみんなそうじゃないですか。それを日本的なものにして、また飽和状態になると向こうから入ってきて、またわーっとなってまた飽和状態になる。愛国運動が起こって。そんなのの繰り返しですよ。だから日本でも東南アジアでもみんなそうですよ。やっぱり伝統っていうものがある国は、例えどうあっても、そういう伝統さえ根付いていれば、混乱は最低限で済ませて、元に戻せるんだ。
このことは聖中心道肥田式強健術という「腰腹同量正中心の鍛練」なんかもそうですよ。強健術は腰腹文化っていうものをベースにしている体系なんだ。そいうことをしっかり押さえて、この鍛練の真伝を捉えていかないと、何年遣ろうが絶対にまったく全然モノにならないとおもっているし、次の世代には強健術は残らないとおもっています。
舞:歴史を知るという事は、肥田式を学ぶ上で思っている以上に大切なことなのですね。
佐:文化遺産としての真伝の強健術を残すのには、歴史性っていうこと、日本人の原点、または東洋の思想性、もしくは生活・風土っていうものを知って、体系を見直すべきだと思っている。だから私は古典や歴史を勉強するんですよ。
昔といっても10年ほど前までですけれど、出来るだけインドや中国を主体に世界中の現地も足で押さえました。型だけ熱心にやる、一芸だけが優れてればいいというのは個人の問題で、体系を残していこうとか、普及していこうとか、社会に還元していこうっていうようときにはグロバールな視線は必須ですよ。
舞:毎回のように先生の学識と教養に驚かされるのですが、何時勉強するのですか? 雑誌などでも気合術の系譜を古代から時代ごとに連載して、毎月大量の文献を読み、奈良や京都など各地に足を運ばれていますよね。学者や歴史家並みの勉強量ですよ。
佐:大したことありませんよ。自分が視野狭窄に陥らないための学びで、誇るようなものではありません。学ばない指導者は思考が狭くなりますね。言うこともこまくなっていく。指導をするというのは、自分が教えた型や指導方法や言動が次の世代まで残る、ということでしょう。それを思ったら、真贋を磨くことは必須ですよ。特に見解を広めるために、歴史は是非にも知っておくべきだと思うのですね。
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身体が勝手に動く !?
舞:先生が鍛練されている聖中心道体系の『悟道』についてお聞きしてよろしいですか。
佐:素人や初心者では理解できませんから、さわりだけお話ししましょうか。一般的に身体を訓練するというのは、目的を明確にしてそれを達成する、出来るだけ目的に近づけるように努力します。その目的をどうしたら手にするか、いろいろ考え、知識としてプロセスを理解します。これが普通ですね。
悟道の鍛練は右脳的訓練であり、これは自分がおもっているのことと身体が違うことをやりだすんだ。
舞:頭と身体がバラバラに動くんですか?
佐:普通であれば、それって頭が狂っちゃったって言うか、正常じゃない人がよくそういうことするんだけど、心神喪失や記憶喪失なんていって、やってることとおもっていることが違う。例えが悪かったかもしれないけれど、右脳でやるっていうのは、本当におもっていることとやることがちょっと・・・、だいぶ違うんです。
前にもお話ししましたが、思っていることって言うのは左脳なんです、表層意識といいます。ところが右脳を使うのは、目的だけを明確にして身体を繰り返し繰り返し真剣に思うことも忘れて、目的も忘れたころにフッ!と潜在意識がやるんです。
型なんかでも疑問が出ると、左脳でこうだとおもって繰り返し繰り返しやっていると、あるところから自分の思っているところと違うことをやりだす。違う動きをするのです。つまり潜在意識がやってくれるわけ。
これが悟道の鍛練で右脳や潜在意識の領域を開発することになる。聖中心道体系の悟道の学びはそのようにやるのです。おもわぬ動作が出来て、アッ!とかハッ!としてその動きを認識したり、動きを止めると思考が働いて左脳にもどっちゃうんだけど、ハッとしなけりゃずっと右脳ですよ。生活は左脳ですから、たまに右脳の活動が活発になると、すごく印象が深いわけで、印象にも身体にも強烈に残ります。右脳からの同じような動きで何回か反復して出来ると、以後は左脳の意識でできるようになりますね。
舞:私たちの日常経験で言えば、自転車に乗れた瞬間とかにあたるんでしょうかね。そういう脳の使い方をどんどん訓練して、コントロールできるようにもっていくのが聖中心道体系の『悟道』なんですね。
第一部 完
続く
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2006年01月22日
丹田の歴史
初心者のための『肥田式強健術』 其の弐
技術編 (1)
先日の対談は理論的なこと、概論編として上級者も勉強が出来るように考えての対談になりましたので、初心者には少々難しかったかな?という内容までも含めて、だいたいの全体的なことをお話しました。
今回は先日に語りきれなかった歴史の事と併せて進めましょう。
2006年3月17日
佐:実技においては、肥田式強健術は『型』を学ぶことから始めますが、型の修得や型そのものに何らの効果があるのではなく、型の鍛練方法である気合真伝の『腰腹同量正中心の鍛錬』に効果と特長があるということを理解し、体得するように学ぶことが大切です。
『腰腹同量正中心の鍛練』というのを略して「腰腹同量」と言っておりますが、これが威力と効果があって役に立つ、正真正銘混じりっけナシの本物中の本物の丹田です。
舞:へぇ、丹田をそんなに明確に定義できるのも、肥田式だけなんじゃないでしょうか。丹田というとどこか曖昧で、観念的な存在のように捉えられていますけどね。それじゃあ実際、丹田とはどういうものなんですか?
佐:丹田とは「生命を絶えず突き動かしている原初エネルギーの産み出される処」という意味で、生命サイクルを行う基盤でもあり、それはまたイノチをアクティブに導くダイナミズムの根幹です。
舞:確かに先生を見てると生命のダイナミズムを感じます。わたしも病気と虚弱体質改善のために肥田式を始めたんです。その背後には日々を快活に生きることへの憧れがありましたね。
近頃はようやく人並みの健康と体力を得て、毎日元気に動き回れることが嬉しくてしょうがないんです。肥田式で丹田をつくることは、心身ともにアクティブに生きることとも言えるでしょう。まあ、実際まだ丹田には遠く及ばないんですけれどね。それでも効果抜群。
ところで「丹田」って、東洋医学や伝統的な芸の世界で耳にする言葉ですけれど、起源はどこにあるんですか?
佐:丹田という言葉は、道教で使われてきた術語です。ただ丹田鍛練は現在の民衆道教ではなく、昔々の紀元前に成立した古い道教に始まります。墨子がそれを研究して、集大成して教団を形成し、門下生に実践的な訓練をした。その中から丹田ができあがって潜在力を引き出した者を、世に送って活動させました。
舞:墨子が集大成を・・・。と言うことは、それより大分まえから人類は丹田をもっていたんですね。道教って宗教なのかと思ってましたけど、実際は丹田をつくるための修行をする集団だったんですか。
佐:今の道教は既存の宗教と同じような姿になっているけれど、本来の姿は実践的な行法だったんですよ。この古式道教は万物の霊長、人の裡に眠る能力を発現させる方法です。主に実践的な透視能力や念力などの訓練をして、だんだんと裡の深いところの潜在力を引き出す段階を経る発現術です。
舞:修行すれば念力や透視ができるようになるんですか? わたしは小学生のころ「ドラゴンボール」を見て、今の世の中でも修行すれば舞空術(空中飛行の術)ができると本気で信じていたんですけど、まさか鍛錬して超能力が発現できる体系に出会えるとは(笑)。
佐:超能力なんかは枝葉に過ぎませんけれどね。今の世の中ではテレパシーを訓練したって、携帯が使えるんだから要らないじゃない。昔は時間と距離の制約がありましたから、戦で相手の攻めてくる前に予知能力を使って察知することが必要だったんですね。古代の中国では、そういう能力を持った人間が活躍していたんですよ。
舞:なるほど。そうやって人智を超えた能力を実際に修得する方法が昔からあったんですね。
佐:これは日本の修験に見る山岳宗教本来の、大宇宙と一体になる行や潜在力を高め、活用していく修行法であり、その能力の修行法の核が力の源である丹田開発だったんです。
それが古墳後期から奈良朝前期ぐらいに、魏や新羅・高句麗などの地域を経て、表日本海の中心地であった出雲や丹後を経て日本に伝承しました。渡来の正規のルートは筑紫の太宰府を経由して大和に到るのですが、それ以外にも海流などの関係で四、五本のルートがありました。
舞:出雲や丹後は、言わば渡来文化の裏玄関。気合や丹田はここから入ってきたんですね。
佐:そうして伝承した術や技が土着して、「必要は発明の母」という諺どおりに、古神道、修験、忍術、武道、医術、芸能に変化しました。この道教は、資料などを検討すると、中国の南宋時代前後に仏教と融合して『禅』を成立させたりしているんです。貴族階級から庶民が政権を担当した鎌倉期に禅を積極的に取り込みました。丁度、南宋が元に征服されて滅亡するところだったので、文化的に高度に発達した時期の南宋文化共々多くの高僧が来日したわけです。
舞:歴史で、鎌倉は仏教の民衆化と庶民が政治を始めた時代として学びましたが、中国の秘宝ともいうべき技術や文化が断絶する前にこの時代の日本に伝承されたというのは幸運でしたね。
佐:禅は渡来後、実に広範囲に渡り様々な分野に多大な影響を与えました。禅などでも「臍下丹田を鍛える」、「臍下丹田を造る」それから「下腹をつくる」、「腹を強くする」、ことが悟道のイロハとなっています。
舞:ははあ、これでやっと繋がりました。古代中国に生まれた人間の潜在能力開発法が禅と融けあって日本に根をおろし、伝統の花を咲かせた。日本の伝統文化が世界に抜きん出て素晴らしいのは、丹田によって潜在能力を引き出す訓練ができるからなんですね。それがすなわち、「腹をつくる」ということであると。
佐:丹田形成は日本の伝統的身体表現のすべての基本で、極意です。芸能も武道も修行法も、これを抜きにしたら成り立たないのです。
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丹田の現在
舞:ですが、その割には今の日本の伝統の世界においては「丹田」という言葉を耳にすることはないようです。よっぽど東洋医学とかヨガや瞑想の方で使われているんじゃないでしょうか。
佐:今の武道の雑誌や何かを見ても、欧米の追随でマッスルだけで、伝統の日本人が築き上げた日本人らしい力の出し方が出てこないですね。伝統的な能を学ぶ人ですら、丹田や腹なんか必要ない!だとか言う、古武道の人でもそんなの関係ないとか丹田なんか要らないってことを平気で語っているんですよ。
舞:せっかくご先祖が継いできたパワータンクがあるのに、それを知らないで技術ばかり磨いているのが今の人なんですね。そんなのは伝統芸能じゃなくて、ただの芸ですね。
佐:マッスル、マッチョのゲーム脳感覚でもの言うと、人の動きの表面的なことしか捉えられないのです。
丹田が要らないなんていうのはとんでもない間違いで、腹に力が入らなければ心身が一体に動けない。まして声は絶対に通らない、張れない、息離れが出来ないんです。だから歌舞伎役者とか能や狂言をする方たちとか、義太夫だとか人形浄瑠璃だとか、声楽だって同じように腹を強くする稽古をする。腹に重しを入れたり、帯の締め方を工夫するなどをした。
舞:腹に力を入れることの重要性を認識していたんですね。広い舞台でマイクなしで声を張っちゃうんだから、並みの力じゃできない。
佐:それだけじゃなくて、立ち居振る舞い、武道や修業などの動作でも腹が据わらないと、呼吸と動作がバラバラになります。
舞:役者は殿様に捨てられたら行き倒れ、武士は一度斬られたらあの世行き。命がけで能力を出そうとすれば、おのずと腹を鍛えるようになるんでしょうね。
佐:腹を鍛えなければ若い時だけ、体力がある間だけ強くて、怪我やプレーシャーに弱く、一時のあだ花で引退です。科学的重視のスポーツ界を俯瞰すると、薄っぺらな程度がよく理解できるでしょう。
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