『気合』とは何ぞや
2006年02月01日
『気合』とは何ぞや
昨今、よく耳にし、眼にする『気合』なる言葉がある。
この気合は、主に武道系や格闘技関連の方々が口にするために、その方面の用語と思われている。が、元々の体系もその意味も、まったく異なっているのである。
ここでチョット寄り道をお許し頂いて、気合を多用する武道についてを考えてみたい。
そもそも武道とは、土地や家屋の番人として、あるいは治安維持などを職業とした武士の戦闘術であるが、後に宗教が絡んで、人格の陶冶をも目的とされるようになった。
さらに、近代の初めに海外で活動した知識人により『武士道』なる哲学にまで結実、日本人の誉れにまでに昇華したのである。
このように武道が五体を駆使し、術や技を学ぶ体系に対して、武士を指揮する大将や千軍を動かすところの将軍、英雄、豪傑、国士、さらには神仙などと尊称される先賢の、学びが『気合』であったのだ。
私は『聖中心道肥田式強健術』や「気合術」という実技を通して、また資料や文献より気合の実際を学び、現在ではこれを「気合文化の研究」として体系化しているのである。そしてまた、歴史の第一線で活躍されたこれら先賢を『気合人』と命名させていただいている。
さて気合であるが、現在でも気合は巷のアチラこちらで口にされ、実際のところ、何故に各時代の第一線で自信満々に活動されてきた方々が、庶民でも口する「気合」をわざわざ学ぶべき必要があったのか?の疑問を呈する方も多いのである。
私はその質問に対して、小説や講談などでイメージ化された誤解が強く、伝承における「真伝の気合」が内包する、偉大なると言っても過言ではない様々な効能や、驚くべき効果を知らないための疑問なのですよ、と答えている。
それではである。歴史の第一線で活躍された先賢が、何故に気合を学んだのか?についての考察をしてみたいと思う。
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気合は摩訶不思議に到る
人は現在の姿に到る進化の過程で、幾たびも生存を脅かされる危機に直面してきたことが知られている。
されど人は、したたかにそれらの危機を乗り越え、その度ごとに様々な有形無象の能力を獲得してきたのである。
やがて人は、先天的本能でもある集団動物のサガに随い、都市を町を構成し、文明という現在の生活に連なるカタチを造ってゆくのである。
しかし、安定的な生活や便利の確保は、人が進化の過程で獲得した能力を裡に封じ込めてしまったのである。
それらは軟弱とも言える現代人から見ると、はなはだ摩訶不思議としか思えない『超越的能力』などである。が「気合」とは結局、人の裡に息づく『人類愛』に目覚めた人が、「衆生済度」の誓願に燃えてゆこうとする時、その前に立ちはだかる艱難辛苦を克服する、裡なる摩訶不思議能力を発現する目的で学ぶべき体系なのである。
これは歴史上の混乱期に活躍された先賢の歩みを、しばし腰を落として拝察することで解るのである。
『気合人』なる先賢達が、あるいは万人の上に立ち、飢餓や災害より衆生を救済に導いたり、大事業などにおいても人よりも先んじて事を成してきた。
それらの先賢はすべからくある日、ある瞬間に、刮目に値する摩訶不思議的能力を発揮された。
この能力の発現が時々にあってこそ、とてもとても凡人では為しえない実績を残されたことを知るのである。
摩訶不思議能力を全開する「気合」は、歴史の中では主に「宗教」というカテゴリーに内包されている。
宗教の中でも、気合を根源にした体系には、道教と仏教とが融合して形成された「禅」、仏教と神道とが合一した「修験道」、後の室町時代以後にそれらの宗教と武道が絡まって形成された「秘儀」などである。
このように気合は、ごくほんの少数の学びに伝承して、その体系のほとんどを口伝心綬で継承してきたのである。
このような秘密の学びであった「気合」も、年月と共に体系の一部が流出、あるいは「気合」の実際を目にした人々が驚きのあまりから、たぶんに尾ひれが付いて語られて小説のネタとなってきたのである。
そしてこのことはいつの間にか一般化して、普段は気合の気の字も知らない方ですら、何となく気合が入ると不思議能力が発揮されるように感じるのであるから不思議である。
そしてこの気合に関しては、「科学的こそ現代人」と洒落る一般の人々にだって、ここ一番で力を発揮しなければならない時に「気合を入れろ!」と、無意識のうちに言うではないか。
これは人の本能として、「人の裡には駄目だと思っていても、まだまだ発揮されないで眠っているパワーがあるのだから、裡に力を集中することで今以上の力を引き出せ!」と、いうことではないのだろうか。
このように、「気合」の何たるかも知らない人でさえ、「気合」が「裡なる摩訶不思議能力を発揮することだ!」を、無意識に納得しているのである。
これは結局のところ、人の裡には理屈や理性では抑えられない、本能とか原始感覚などが色濃く支配している無意識的行動式があり、故に何かの拍子に、当人すら意識しない裡に、感性が瞬間に高揚して、発明や発見、予知、念力などのピカリ感覚「ヒラメキ!」をみるのである。
その意味では、現代においても第一線活躍する一流と噂される科学者や研究者、偉人や経営者ほど本能的であり、裡なる蠢きに支配されているのである。
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今何故、気合なのか?
さて、「気合」という正式な伝承での摩訶不思議能力発現方法であるが、その基本の第一歩が、下腹部の一点に『丹田』という無形のパワーポイントを形成することだとされてきた。
まことに残念ながら、現在の日本では、貴重なる伝承文化を次々に失伝してきている。
日本人の先人が幾たびかの代を重ねて完成させた民族の宝であり、世界に誇ってもよい極めて貴重なる伝承をも捨ててきてしまったのである。
ちょうど、海外の美術館に飾られている国宝級日本美術の国外流出に観られるようにである。
伝承が失伝する度に「民族の誇りも共に逸するが如き」と嘆くのは、本物の学びから真贋を見抜く心眼を養った一部の方々だけであるようだ。
あぁ、日本人よ!どこへ彷徨うのか!目を覚ませよ!日本人・・・。
まずここで私事を語ることをお許し頂きたい。
それは、このような伝承が失伝し、伝統が破壊される現状の中で、今までほとんどその全貌が語られることがない「気合」を、あえて語っていくために必要であると思うからである。
私という一修行者の学びの軌跡を通し、「気合」を語る資格の証を知っておいてほしいと思うからである。
私は、鍛練で気合を体得して、幼少時には死の淵に彷徨うこと数知れずという虚弱体質から一変、豪傑、国士、禅史上でも希な「大悟徹底」の深奥まで到達された超越能力覚醒者として、伊豆八幡野松が丘上で孤高に活きられた肥田春充(1883〜1956年)が創始になる『聖中心道肥田式強健術』真伝の気合を学んだ一修行者である。
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気合こそ超越能力を誘起する秘鍵
私が学んできた『聖中心道肥田式強健術』は、他の鍛練や修行などと異なり、本当に極めて希なことだが、「基本から奥秘迄のすべてを気合で行ずる体系」であった。
しかしまことに残念ながら、実技・理論を併せて体系が厳格であった「聖中心道肥田式強健術」にあっても、真伝の気合を学べた者はわずかであった。
だから現在一般に学ばれている「聖中心道肥田式強健術」には、気合などどこにもないのである。
気合とは、「気合ダー!」と声を絞り出すことではないし、「大声・かけ声・叫び声」などの声を張り上げることではない。
また、筋力を増加するために強く緊張するために必要とされるのでもないのである。
一般化な「気合は声を絞り出し、大声を張り上げる」などの勘違いは、何を原因としてのことなのだろうか?
この原因を知ることは、気合を体得しようと学ばれる方にあっては、教訓として、学びの本質を知ることに大いに役立つので書いておきたい。
気合の修得には、『呼吸』と『姿勢』と『動作』の三位一体が必須である。
この三位一体を体得するには、ある段階で最も難しい『行』をクリアーしなければならない。それは、気合の主体を成している身体深層部の呼吸に関与する筋肉、『呼吸筋群』を縦横に駆使することなのである。
この深層部呼吸筋群を駆使する方法は、現在あたりまえにみられる表層部筋肉群を鍛えるようなボディビル的運動やスポーツなどとは、まったく根本的に異なる動きなのである。
さてそれでは、これを鍛練の代表的運動法「腹筋運動」に例えて観てみよう。
現在広く一般に行われている腹筋運動は、仰向けになり、足を曲げるか伸ばすかして、上半身を起こす、倒す、を繰り返して、腹筋部を緊張させる運動様式である。
それに対して「気合」では、呼吸の速度に姿勢と動作を合一させ、加速度的に腹筋群に急激な圧を加えるようにするのである。
例えてみれば、ゴム紐の両側を引き延ばし、片側を離せば瞬息に固定している方の片側に緊縮する。これが「気合」による身体深層部筋群鍛練のエッセンスである。
この気合修得呼吸筋運動を、聖中心道肥田式強健術の創始者は『下半身の緊張、上半身の絶対柔軟』と表現しているのである。
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気合の実際
さて、「気合」なる摩訶不思議能力を体得するための方法として、長々と『聖中心道肥田式強健術』を解説してきたが、これには理由がある。
それは、『聖中心道肥田式強健術』の創始者である肥田春充が、後々の学び人達のために、史上初めて気合で形成されるところの「丹田」を図式にして、摩訶不思議能力発現の詳細をあますことなくオープンにしたからなのである。
春充の家系は代々が長州藩武術師範であった。中でも、特に祖父が無類の武術狂いで、武芸十八般はおろかその極意の深奥までも体得していたと言われている。
春充はその影響もあって、かなり後の20代から武術を学んだにもかかわらず、わずかな期間で天才的才能を発揮したと言う。
これに関しては私も事実を知っている。
焼失前の伊豆の肥田家で、春充が授かった巻物や免状類を拝見したのだが、「竹内流柔術」は半年で免許、柔道や剣道は大学で学んだのにも関わらず、その大学で飛び抜けての実力から主将を務め、明治の当時最も実力があるとされていた「東京憲兵隊司令部」に指導にも行っている。
しかし結局のところ春充自身は、術や技を突き抜けたところにある「裡なる摩訶不思議能力」を発現できなければ、何時まで経っても名人の境地には到達できないことも感じていた。
春充は、実兄で宗教家であった川合山月が到達した前人未踏の境地である「神秘体験」の影響もあって、心身鍛練と共に禅に深く傾倒していたのである。
春充は、気合を根源にした禅と、武道を加味した複合的学びがあって、気合を完成したのであった。
すでに伝統の分野においても、「科学的」という言葉が聞かれて久しい。
運動法などや個々の筋肉運動、目的を達成する動き、というような単純な解析ならばそれもよいだろう。
だが伝統の運動では、その運動を司るところの精神性こそ主体で、身体の裡に働く精神力を高め、気配りを豊かにして、「知性」、「悟性」、「覚性」、「感性」という、裡なる才能を発現する方便が運動なのだ!としているのである。
動作は精神が支配しているのだから、精神力を絶対的強固にするために動作するのである、と学ばれてきた。
このような哲学を持っている伝承の鍛練の、どこに科学が入る余地があるのだろう?
私はこの二言目には科学、科学絶対の風潮に対して、常々申し上げていることがある。
それは、「非常識という才能」、「常識という平凡」である。
これから日本伝承の秘術である気合を学ばれる方々は、是非ともこの言葉を噛みしめて欲しいと思っている。
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