丹田講義録

2008年05月15日

初めて語られる真伝の『聖中心道体系』について

 
 月刊「カルナ」という雑誌に『聖中心道肥田式強健術』の特集記事を書いてから、今月で二回目になります。
 前号では、元気で張り切っていた頃の道夫先生からマンツーマンで受けた鍛錬、広く行われている型稽古とは異なる「武道の精華たる気合で、腰腹同量正中心の鍛錬を行うのが真伝である!」ということを書いてきました。
 今月発売の号では、今まで語られることがなかった「聖中心道」体系の真実の姿を書きました。
 なぜ今の時期に書いたのかと言うと、これは私の門下生でも、はたまた何処かで肥田式強健術を相当の期間学んでいる方でも、「聖中心道」についてはほとんど知らない方が多いだろうとおもっての動機からです。
 それに加えて、「聖中心道体系」を知らないために、型重視、型が総てという学び方が横行して、型が上手にできたら完成というような真伝の効果体現鍛錬とはまったく無縁、間違った方向に進んでいる風潮があるからです。
 「段階を踏んで効果体現を図るのが真伝だよ!」と繰り返し教えているのに、私の所でも「違うことを言った」、「型が違う」などという文句を真顔で言うおバカを観るにつけ、型稽古の輩には高嶺の花だけれど、今後のために書いておくかなと纏めた次第です。
 結局これは、「型は固定したモノ」という考えの元には、肥田式強健術が簡易強健術という型で組まれていて、これさえ覚えて繰り返せば、何れは八大要件も、潜在力も、やがては発現できるに違いない!という理論に暗い人特有の思いこみから、おバカなことを言うのだろうとおもってのことです。
 このことは「武道の精華たる気合による腰腹同量正中心の鍛錬」という真伝を普及する大きな障害となると、学び人達の認識を新たにさせるために聖中心道体系の真実を書いたわけです。

 この鍛錬の正式名称は『聖中心道肥田式強健術』と言い、世間流布の「肥田式強健術」は全体系の内の、八大要件という顕在力鍛錬の体系です。つまり強健術は、聖中心道体系の為の基盤造りにすぎない!のです。
 今まで多くの方々と聖中心道に関する質疑をしましたが、知らない方の方が多く、知っていても原書の抜き書きか、原書の一部を丸写しにした文献からの断片的知識がほとんどでした。
 その意味で「聖中心道体系」は、次号の『カルナ』で初めて公開されると言ってもよいと思います。まぁ「縁は何とやら」と申しますので、真伝にご縁を結びたい方におかれては!ご一読をと、文を結ばせていただきましょう。


2008年5月13日 了雲



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2006年04月28日

「丹田」と「正中心」

 
『丹田講義録 2005』


 皆様、本日は「聖中心道肥田式強健術」の講演及び演武の会にお越し頂きまして、ありがとうございます。
 中には九州や北海道、北陸などの遠方から起こしくださった方もおられるとか、主催者からお聞きしております。本当にご苦労様です。
 私自身が一修行者でございますので、理論や専門的用語に到らないところ、間違いもあろうかと存じます。その点につきましては質疑応答の時間もあるということでございますので、ご遠慮なくご質問いただければ幸いと存じます。

 さて、演武の前に鍛練についての講義を、ということでございますので、本日は「伝統でいうところの丹田ということ、鍛練の方で正中心といっておりますエネルギーのダム、人の裡なる力の源の話」を主題に進めさせていただきます。
 特に、休憩を挟んで演武させていただきます『聖中心道』という悟道の体系と、『肥田式強健術』という八大要件体系につきましては、伝統の丹田形成法の真伝そのままである重要な事柄なので、基礎のところから順序を踏んで分かり易く解説してまいりたいと思います。
 この体系は実技と理論に曖昧なところがまったくありません。ですからどなたでも真摯に道を尋ねることで完成に至る、その意味では極意を体現してる体系だとおもいます。

 武道や運動を学ばれた方なら「丹田」については、「多少とも知っていますでしょう!」と言われて、「理解できますか、どうですか?」と言われても、何が何だかいまいち判らないでしょうね。
 その理解の無さは、本当の極意というか、人を変え得るパワーを内在した教えが、大切にされすぎて?秘密にされすぎて?現在では細々の伝承しか残っていないために、丹田という言葉ぐらいは聞いたことがあるだろうけれど?その内容となるとからっきし理解できない、のが当たり前なのです。

 私共が学ばせていただいております気合真伝の『強健術』では、基本から応用までの鍛練を徹頭徹尾「丹田」形成を目的にしてまいります。
 丹田は下腹部の「下丹田」、胸部の「中丹田」、頭部の「上丹田」、人体にはこの三丹田があると言われ、上丹田は「知恵」を、中丹田は「気力」を、下丹田は「体力」を生み出すのだ!とされています。
 実際の鍛練では、中丹田と下丹田は同時に協調して鍛練しますので、効果も『臍下丹田』の完成に収斂します。ただし、「臍下丹田」がほんのわずかしか形成できなくても、それに応じての体力や気力が誘起されてまいります。

 『腰腹同量正中心』の鍛練に基づいた強健術をされておりますと、一年程度でもそこそこの『臍下丹田』が形成されだしてきます。
 強健術では気力・体力を生み出すパワーの座である「臍下丹田」部を『正中心』と申しております。それは従来の臍下丹田形成法が腹を中心とした、はなはだ威力が弱い、貧弱な丹田形性であり、それと区別するために「正中心」と命名されたのです。
腹力に腰力を加味して、両立して鍛練することで強力な丹田を形成し、どのような動きや環境でも崩れない、威力が減少しない丹田ということで『正中心』です。

 「気合で鍛練する」という基本に則って学んでおりますと、だんだんと正中心が充実してまいりますが、ある程度充実して参りますと、日常などの道を歩くときでも、姿勢と呼吸の協調や腰の反折をグイッ!と、とることでも正中心が充実して、そこそこに形成されて参ります。
 私なんかも普段の生活で正中心形成はいつもいつもやっている訳じゃないんだけれども、ここ一番に「三力」を発揮しなければいけないと思われるときには、「腰グイッ!」で正中心を形成して事にあたっております。
 ついこの間までは、こんな簡単に日常で形成できるなど考えもしませんでしたが、現在では出来ます。もちろんいうまでもなく大名人であらせられる肥田春充先生などの正中心とは比べものにならないぐらいのお粗末な威力で、雀の涙程度なんでしょうが、正真正銘の正中心です。

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感覚器官の覚醒

 
 さて、正中心形成について未だほとんど知らない、その意味では「猫に小判」というような、普段の稽古でも「眠り猫状態で大人しいお稽古」をされている方がおられるかと思えば、最晩年の簡易強健術型という、ありもしないでっち上げの型をおやりになっている方も多くおられます。
 そこで、実際の鍛練法の復習も兼ねて、初心者対象の正中心の形成法に寄り道しましょう。

 『腰腹同量正中心』で形成される『正中心部』は、上は横隔膜を緊張させて、前は腹筋を、後ろは腰を、下は骨盤というのがありますから、前後左右上下、四方八方から圧力が下腹部の一点に加わります
 創始者であらせられる春充先生の解説を現代風にアレンジさせていただきますと、「脳脊髄神経という中枢神経末端の下腹部に繁く密な『仙骨神経叢』を正中心形成で強力に刺激、その刺激が脊髄神経を経過し、脳中枢である『脳幹部』の感度をアップして思考停止に導き、明哲で怜悧な判断とヒラメキや感受性を生みだし、日常のあらゆる事で活用できる」となるとおもいます。
 日々、様々の場面で活用できる下腹部に形成するところの球状緊張は、便利で活用自在でもあります。

 そしてこの下腹部に形成される『球状緊張』と呼ばれる緊張力の強弱により、全身内外の中枢部である「脳幹部」という、強健術では『聖中心』と命名された、人体の中枢の発現程度が!活力の強弱が!決まってくるのです。
 そんな完全至極な球状緊張でなくったって、脳幹中枢は仙骨神経からの刺激に応じて働きますので、緩い形成であっても五感の向上がそこそこ感じられます。
 中でも視覚は、光の取り入れる量が飛躍的に増えるのか?、学理的なことは判りませんが、それまで観ていた環境とは違う輝きを持ちます!
 そして感情的な出来事にこだわらなくなり、「鼻先でフン!」で終わりです。
 まずは、思い切りが驚くほど良くなります!
 この他にもいろいろ面白いことが経験できるのですが、それをここで書くと皆様の楽しみを減少させることになるから書きません。
 まぁ、楽しみに励んでくださいな!

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腰椎三番から上はまったく緊張させない

 
 話を進めさせていただきましょう。

 前にも言いましたが、正中心とは「下腹部に生じた球状緊張」を指しています。
 この下腹部に形成された緊張状態を、伝統では「腹圧」とも言われていました。
 一般には「丹田」と言われていますが、そこが「ギュッと硬くなる」、下腹部腔の一点だけが硬くなるように姿勢と呼吸と動作をもっていく事が形成の秘訣なんですね。

 一般的に昔から言われているのは、逆腹式は呼気時のときに腹に「ギュッ!」と力を入れてゆく呼吸方法で、横隔膜を下腹部へと降下させて、上方からの腹圧を形成しようとしました。
 これを例えますと、漬け物桶に口まで一杯に溢れた漬け物に蓋をして、体重を蓋に懸けて、力任せに押し込む姿に似ています。
 これは素人にも理解しやすいし、一般の方には説得性が大ですから、現実に多くの方が逆腹式での丹田形成をおやりになられています。
 この横隔膜の降下による丹田形成は、腸が柔らかい腹部側に押し出されて太鼓腹になります。それだけでも窮屈で動きにくいのに、横隔膜降下で上半身が前にのめるようになり、猫背のようになります。そうなると動作的にはバランスを崩し、速い動きも事に応じて変化が出来かねるわけです。
 この逆腹式による横隔膜降下での丹田形成派の方々は、脳脊髄の中枢神経への刺激をまったく言わずに、自律神経を強調して「延髄を刺激する」のだと申されております。
 横隔膜は自律神経末端が密ですから、それはそれでよろしいのですが、狙い所がどうも弱い、消極的であるのです。
 人間は動物であり、動くことで欲求を果たし、健全性を保っている。ならば、動作するということを前提で鍛練を組織するほうが合理的であると言えるのです。
 現在のところ、学理的な表現で「丹田形成」を言っているのは「逆腹式呼吸法」か、「腰腹同量正中心」鍛練の『聖中心道肥田式強健術』ただ二つの体系だけです。
 あとは曖昧で、資料としていろいろ調べてみても価値がほとんどございません。

 さて、寄り道をしましたので本筋に戻ります。

 腰腹同量正中心で形成する『球状緊張』は、鍛練の最終目的であり、『大悟徹底』という人類の究極の知恵の座ともいえる「脳幹部の思考停止状態」を創りだすことです。
 鍛練が真伝を目的としたのであれば、極めて当たり前なのですが、「脳脊髄がどの位置にあるのか!」ということ、特に「姿勢」は重要な要素なんですね。
 春充先生は大悟徹底された大正12年以後の腰腹同量鍛練で、「中心姿勢」という独特な姿勢を創始され、晩年も何ら変わらずに一貫して「この姿勢こそ人類の叡智覚醒の極意である」と明言されておられます。
 そして「鍛練の完成は中心姿勢をそれぞれが体現することなのである!」とも申されておられます。

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強健術に無知な武道家達

 
 春充先生が太平洋戦争阻止のために活動された戦前の軍部暴走阻止運動などの活躍は、すべてが中心姿勢から誘起された力によるのだ!と言えます。
 先生は「威風堂々を絵に描いたらこうなる!」という、大変にご立派でバランスがよろしい中心姿勢を写真で示されておられます。
 先生は、戦前に映画フイルムで気合真伝の聖中心道肥田式強健術全伝を演武されていますので、実際の動的・静的姿勢が拝見できます。
 この春充先生の姿勢と動作を拝見いたしますと、伝統の達人や名人の真実が理解できるのです。とは言え、それでも中心姿勢そのものは、現代の「科学的が正しい」と主張する理論武道家やマニュアル武道家、文献武道家などの方々を主として、「武道界」ではとても評判が悪いのです。

 古武道研究家として有名な文献武道家の方などは、先年出版された著書で「肥田式をやったら小便が詰まって20日も苦しんだ」とありました。この方は肥田家公認団体の顧問をされていた方で、肥田式に関する本も出しているのですが、鍛練としてはこの程度の無知さです。

 何故に無知かと申しますと、静脈を濾過して小便を形成する器官の腎臓は肋骨内部で、腰の上部ですよ。『腰腹同量正中心鍛練』での腰の反折は、「仙骨と腰椎の接合部の反折」です。
 本来の鍛練をまるっきり知らない、強健術を学ぶ条件であるところの謙虚に学んでいない、そして何よりも意識して腰を、上半身全体を力任せにふんぞり返ってやると、このような醜態を生じさせる結果になります。
 これは申すまでもないでしょうが、強健術本来の鍛練とは異なるのです。本来やってはいけないことをやっている。
 鍛錬では「腰椎三番から上は力を入れない!」は鍛練の原則ですよ。
 まぁ、何でこうなるかと言えば、肥田家公認団体では「逆腹式呼吸が鍛練の呼吸である!」と明記しているからなんです。
 逆腹式で鍛練すれば、背中は丸まります。それを意識して反らせるようにするのですが、相当、背部の筋肉を緊張させないと無理なんですね。

 肥田式鍛練での呼吸は、「吸気では腰胸式、呼気では腰腹式」が正式です。
 これは逆腹式のことではありませんし、「横隔膜のその場での大緊張」が気合時の使い方で、「腹筋」と「腰部筋」と「深層部筋」の緊縮で『腰腹同量正中心部』が形成されるのです。
 泌尿器関係をはじめ、腹腔内の臓器には、まったく、全然、まるっきり圧力は感じないのです。
 下腹部の一点だけが硬くなるのであって、その腹圧に比例して上腹部や中腹部、さらには上半身の力はまったく抜けなきゃいけないんです。
 上半身の緊張が無いからこそ、『中心姿勢』という独特な姿勢が日常生活でも保たれるのです。

 強健術でも、横隔膜を降下して呼吸筋群の動きを感じ、そこそこの腹圧を形成することを学びますが、その時には「仰臥」「座式」でのみです。
 立つ、動く、そして本格的鍛練では逆腹式はまったく行いません。
 それは、姿勢の問題と動作から生じる力が垂直に使えないことと共に、横隔膜を上下させると気合が使えないなどの弊害があるからです。
 文献上の知識だけで空想で組み立て、正誤の規範を持たないままで「自分は間違いをしない!」との傲岸な感性を振り回し、さらにデタラメな解釈で創った独善的鍛練をして身体を壊して、結果「肥田式が悪い」ととられる物言いでは、端が迷惑です。本来であれば、肥田家公認を公言する団体が抗議すべきが筋!だと思うのです。このようなことを観て抗議してこその公認でしょ! それがいまだになぁなぁの関係です。
 肥田式を学ばせていただいてきた身としては、腹の底から莫迦ヤローと言いたいですよね。
 どうです諸君、肥田式の研究で世に出たのに、「小便が20日も詰まって苦しんだ!」と恥ずかしくもなく書いたものを見て、その真意は如何に?と、問いたいですね。

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ちゃんと読んで理解してから開始しましょうよ、ね!

 
 「反省なら猿でも出来る!」とありますけれど、有名になる、人の上に立つようになると、反省はなかなか難しいのです。特に、今の時代にチンドン屋さんに似せて和服で腰に刀を差して威圧的に振る舞うと、皆が黙ると思っている?かどうかは知れませんけれどね・・・。

 『腰腹同量力での鍛練』により自然に創られる『中心姿勢』を一般の人が観ると、「威張って反っくり返った様な姿勢だなぁ!」と感じるかもしれません。
 ですが、改めて、よ〜く刮目してご覧下さい!
 まず眼につくのは、「上半身はまったく緊張していない」ことです!
 それは、上半身に力が生じると腹圧が減少するからです。芸や術など動きを伴う鍛練で、上半身に力を入れる鍛練などまったく、全然、どこにもありません。文献武術や科学的武道はわかりませんが、少なくとも伝統の「腰腹文化」に則って基礎をうるさく仕込まれた方々には、上半身に力を入れるモノは何一つありません!と明言させていただきます。
 何とならば、上半身には心臓があり肺がある。緊張すれば生理的働きを阻害します。百害あって一利無しでしょ! しかも肩からは手が出てて、上部には頭もある。上半身のどこかに少しでも力が入ると、それらの動きを阻害してしまいますでしょ。それで物事が上達できるわけがありません。
 上半身に力を入れての運動や鍛練など、考えなくてもはじめからペケ!ですよ。

 『腰腹同量正中心の鍛練』が何故「気合」でやるのか?は、上半身を緊張したくないから!と、瞬間的最大加速を生じさせるためです。
 上半身の緊張を除いてバネにする。ムチのシナリのような使い方をするのです。
 この柔軟弾力から生じた力の方が、筋緊張で生じる力よりも強力で威力があるからなのですよ!
 しかも、上半身の緊張除去ということが理解できれば、日常生活にも芸の上からも、様々に活用できるという利点があります。
 力を入れれば入れるほど色んな姿勢で事が行えない。それだとすぐに疲れちゃいます。だから疲れずにその姿勢が出来るっていう事が一番合理的なんです。
 「やってすぐ疲れる」というのは、当人が気付かないところに無理・無駄があり、上達を促す合理性が無く、不自然だから疲れるんです。
 日常で「正中心」が形成できるという事は、腰がグッ!と入って、正面からはヘソから上と、背部は腰椎三番からはまったく緊張させないのですから、如何にラクチンでお手軽か、ですよね。
 鍛練を特殊にしてはなりません!
 生理の自然ということを深く考え、体感してゆかなければいけないのですよ!

 まぁ、鍛練に気合が無いのでは、上半身を緊張させて鍛練するしかないのですから小便を詰まらせるのはしょうがないとして、「強健術」は逆腹式で内臓には負担を毫もかけないでやる! それには「横隔膜のその場での大緊張」を体現する「気合で鍛練する!」という本来の姿に立ち戻らない限り、今後もこのような方が出るだろうと思うのです・・・。
 「縁無き衆生は度し難し」とも言いますから、門外漢の方に何とも申し上げることはございません・・・はい。

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「呼吸筋群」を使えることが基礎なのです

 
 気合の基本は、「姿勢」と「呼吸」を理解することです。
 特に呼吸は、鼻から出たり入ったりする息を連想してはいけません!
 臓器に、そして骨格に直結している深層部の呼吸筋群を活躍させるということが大切です。
 「強健術鍛練」は、ここに独特な中心姿勢を形成する鍵があるのです。
 一般の概念での健康法の範疇で終わるか、八大要件を体得して、さらに「天賦に触れるか!」は、自分で探すしかないのです。「呼吸筋群を使えるようになるか!ならないか」です。
 身体内部の動きは観て解るものではありませんけれど、それでも指導者の操練を観て、くどいほどの質疑応答で理解し、黙々と継続して体得するという順序が必要です。
 このような段階を踏んで、徐々に呼吸筋群の動きが理解できてくると、自然に、意識しなくても姿勢の何たるか、どのような姿勢が合理的なのか、ということなど理屈抜きで判りますよ。

 ただね、学ぶ方の上達に速い遅いがあるのは、一人一人の普段の無意識の姿勢、元々の姿勢っていうのが違うもんだから。そこから呼吸筋群の動きを体得して正しい姿勢に至るまでに、結構それなりに一人一人の上達へのプロセスが違うんです。

 この道30年の鍛練歴があります私は、今までいろんな人を教えてきたけれども、結局一番困っちゃうのが初心者の姿勢を直したり呼吸の細かい事を教えることです。
 これは教えるほどに皆、個人教授になっちゃう。10人が10人とも、こういう風にやれば、こういう風になるよってのが勿論あるんだけど、でもそれだけじゃやっぱり体得にまではいかないんです。
 結局は健康法で終わりです。型を修得して、形式化・マニュアル化して、型を演じるのがお上手で終わるのが一般です。

 再度繰り返させていただきますが、腰腹同量で形成される『正中心』は、日常生活で様々に発揮されて「随所に主と成す」、または名脇役を演じきれる息遣いができるからこそ鍛練の意味をもちます。

 当たり前のことですが、鍛練が日常生活から逸脱したものというのは無意味です。
 時間の無駄ですよ! 人生は何物にも変えがたい価値を持つのです。それをつまらないことで無駄をさせる。
 創始者は偉大で偉人だった!でしょうけれど、後に続くのは普通の人で、だから何かと創始者を引き合いに出して自らのだらしのなさと無知蒙昧を誤魔化し煙に巻く。
いけませんね! 腰腹同量の鍛練は、日常生活から離れれば離れるほど効果を失い、本来の体系から逸脱してゆきます。結果は何も生まない、人も変えられません。
 強健術には型があるから、それをこうやればよい!といったって、型をやっている時間はどの位なんですか?
 世間を観て御覧なさいよ! スポーツ選手、一般的にアスリートと言われる人たちは、猛烈な肉体の鍛錬をやって記録を更新していきます。例外なく、目的に対して無駄がないという意味の合理的な鍛練量に結果は比例するのです。

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「人道」と「天道」

 
 ただし、気合真伝の腰腹同量の鍛練と異なることが一つだけあります。
 オリンピックで様々な成績を残した選手といえども、「悟道」や「天賦」には触れ得ないということです。

 科学的と称して学ぶモノのほとんどが、単なる専門的な局所の、肉体上の術や技で終わっちゃうんです。人生上にも、他のことにも、なかなか実際の処は活用できませんよね。
 これは現実を俯瞰しての意見ですから・・・。あくまでも、長年訓練した事しか発揮できないわけですね。
 それらのスポーツに対して、日本人には武道、芸道という言葉があるように「道」という鍛練方法があります。
 「道」というのは、本来その人が持っている、もしくはその人が今、今生人間として生まれてきた目的、生きがい、その人が内に持っている本当の力、そういう能力に触れて引き出していくという、本源的な事がベースにならなきゃ「道」とは言わないのです。

 だから同じ、体を動かすのでも、身体の裡に向かう、探求するというような前提に立っての技とか、姿勢とか、呼吸とかが、組織されている訳ですね。
 能力や感受性を裡に没入させてゆく、それが元々の意味の武道の「道」です。
 技が出来たとか、術をいくつ覚えたとか、筋肉モリモリも、強い弱いの腕力も、「道」本来の意味とは異なるのですね。

 世の中には、武術よりも武道の方が格式が上だなんて言う人がいますけど、とんでもないですよ。
 剣道とか柔道とか合気道とか、明治中頃の国際人であります新渡戸稲造の影響でやたらめったら「道」が付いているけど、意味が違います。
 さてそれではここで皆さんにお聞きしたいのですが、「肥田式」というのは、肥田式強健術の簡易強健術、呼吸操練、そういう型が無くなったら肥田式は成り立たないと思いますか・・・?
 どうですか?
 まぁ、一般的には成り立たないとなるでしょうかね!・・・。
 でもね、明言させていただきますと、成り立ちます。私は、型中心のそういう学び方をまったくしてこなかったんです。私は『腰腹同量正中心の鍛錬』を学んだのであって、型から入った人間じゃないんです。
 「強健術鍛練」で大切なのは型ではなくて、腰腹同量力で正中心部の球状緊張を形成出来ることですよ。
 型を学んだからといっても球状緊張はできません。
 中には「最晩年の型」とか、「初期の型から最晩年の型まですべて学んだ方が上達する」などと指導しているところもありますが、強健術本来の学び方ではないのです。

 それでは、「腰と腹に同量の力を入れる」とはどういう事だと言われたら、「必死で持たなければ持ち上げられないような重いものを持ち運ぶ。または危険な道を歩く。一心不乱にやるときに、その一心不乱を自然に無理なく、また楽しむ。一心不乱にやる事によって、一心不乱にやっている内に自分の中の何かを触発する、啓発するというような状態を創りだすことです」。
 重要なのは「感覚の裡なる没入」です!
 このようなことが理解できると、あえて型をやる必要がありません。
 ならば、「なんで型があるの?」となりますね。
 型というのは「一心不乱を無駄なく、本来の意味を分からせてくれる」。言葉を変えさせていただけば、「オーヴァーアクションをする事によって、自らの反省点である、いたらなさに気付く、それを感じとる心眼というか、真贋を養うためにある」のです。
 型を学ぶということは、天道においてという条件で申しますが、何かを得るのではないのです!
 捨てるために、学ぶのです。
 「型は枝葉である。しかし型は正しく学べ!」。春充先生の言葉です。

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玄玄たるや微妙の法は

 
 私は52才頃から、鍛練終了後に詩が浮かんだり、絵がイメージされるなどを度々感じるようになりました。まぁ、上手下手は言いッこなしで、今フッと、頭に浮かんだ詩を紹介させていただきましょう。


 春・夏・秋・冬、背を伸ばし
 手足をブンブン振り回す。
 歩いて 走って 汗かいて
 荷物を降ろして 一休み。
 何処までいくの?と、聞かれても
 さて さて どこだか わしゃ知らん!


 三年ほど前の作です。

 先ほど申しましたように、繰り返しの鍛練は微妙を感じとらせてくれます。
 ハッ!と、ある日突然に、言葉で表現できかねる感受性の高まりを分からせてくれる。
 これを繰り返しますと「心眼」が生まれます。この心眼をもう一つの言葉で言いますと、型をやる事によって自分の中に『気づき』が出来る!となります。

 この会場に来られている方は、皆様がそれぞれに目的を持って生きている訳です。
 またそれぞれの人間がそれぞれの個性を、顔つき、目付き、年齢が違いますでしょ。
当 たり前といえば当たり前なのですが、一人一人が他人とまったく違うところの自分、そこに価値と尊厳と独自の才能とがあり、結局のところはここに気づかないとダメなんです。
 人の真似をしたり、形式化した型をやってはダメですよ!
 自分の学んだ型に疑問を感じ、鍛練で疑問を払拭する。これを繰り返すのです!
 創造して、破壊する、型を形式化させない絶対的条件です。
 そのためには知ること、幅の広い教養と自己否定、それが「テンジョウテンゲユイガドクソン」たる型を確立させるのです!

 人間が自分が何をやっているか分かるまでには、相当な時間がかかってしまいます。
 「四十にして迷わず」と先賢が言われましたが、私の場合なんかは60にタッチの今に到るまで、恥ずかしいことを口にし、迷い、落ち込み、度々に渡り失敗をする。
凡夫そのもの、恥の繰り返しです。だからこそ言えるのです、「腰を据える、腹を据える」ことの重要性を・・・ね!

 一般社会に目を転じますと、そこにはモラルとか規範など、社会や集団や個人の存在を守ってゆくべき、色んな事があるわけです。

 例えば国家公務員が公費でアルバイトをしたり、賄賂を貰って平気でいて、天下りなる傲岸な漢字で表記するところだけでも呆れるのに、さらに談合なる厚顔無恥な振る舞いまでする。
 なんでそんなことが平気で出来るのか?と言えば、自己をコントロールできない小人と申す「小人閑居して不善を為す」ところの輩だからです。
 一般にはモラルと表現されるのでしょうが、この欠如ですね。
 道徳心は公共性が無いといけないのにさ、個人的なことに自分が与えられた権限や権力を行使する。これは当然、莫迦たれですね。

 強健術は『八大要件』を体現してゆく鍛練ですが、そこに精神性自体の向上や精神の確立を示唆する表現はまったくありません。
 ですが、筋肉の発達・内臓の壮健・皮膚の強靱・気力の充実・体格の均整・姿勢の調和・動作の敏活・精神の平静の『八大要件』そのものの体得が、精神により成されるのです。
 鍛練は精神力を基盤として学ぶモノであり、「息は自の心」と書かれるように、息遣いそれ自体が精神です。
 その鍛練が正確ならば精神性の向上は確実に図れるのですから、この道を学ばれる方々は、何処へ出したって、堂々としたものだろうと思いますね。手前味噌でなくです!

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汝自身を知り、自己を灯明とせよ

 
 人間には健康・不健康の中にも法則があるんです。

 健康を保つには、進化の傑作であるホモサピエンスが獲得してきた「生理の自然」という、機能や能力的に見て活動しやすい状態と、解剖上から観察して構造上に無理がない合理性が必須です。人は構造・機能・能力の合理性から逸脱すれば必ず病気をし、怪我をします。

 健康人は健康法則に随っているから健康なのです。
 「当たり前だ!」と思われますが、この健康法則を知って活用し、日々生活されている方は、ほんの少数だと思います。
 現在は、免疫システムとして知られている「自然治癒力」が裡に働いていることを、ほとんどの方がご存じです。しかし、全身の免疫システムを発現できるか!低下させてしまうか!は、健康法則を知るか知らないかが大きいのです。

 『聖中心道肥田式強健術』の体系には、「別伝」と呼ばれる体系が伝承しております。
 その中で、純生理学的東洋医学の真髄『天真療法』といいう自然療法がございます。
 この「天真療法」の特長は、「安静」、「排泄」、「食養」を三位一体に行い、薬物などをまったく使用しないで、完治に導いてゆくという療術体系です。
 この体系は、人の「構造」、「機能」、「能力」を歪め低下させた原因を、第一安静から第五安静に分けて、自然治癒を高めて完治させてゆきます。
 いずれ機会をみまして、「天真療法」につきましてもお話しさせていただきたいと思っております。

 「庇い、補うべし、知らしめるべからず!」という暗黙の了解の下に・・・かどうかは判りませんけれど、現代は医者の地位が向上して、社会のエリート層をつくりあげています。それはそれで結構なのですけれど、医学に社会性を求めるのなら、何よりも重要なことは「予防医学」だと思うのです。
 病気の治療と同じ時間を使っての、病気にならない知識の指導です。
 この頃は、生活習慣病の蔓延から食事と運動の指導をやるようになってきましたけれど、風邪一つだって日常生活に起因していますよね。ましてや現代はストレス社会という、肉体上の原因ではなく精神的、神経的、五感の一部の使い過ぎでの過敏現象が起因として、病気が多くなってきております。
 痴呆症、アルツハイマー、うつ病や神経症、すぐ切れる若者なども、ストレス症候群だと言えますよね。
 まだまだ時間が足りないと思うのです。
 もっと徹底して幼年時若年層から予防医学を教育してゆかないと、元気でバイタリティーに溢れた健常人がどんどん減少してしまい、半病人化がどんどん進むのではと思うのです。
 さらには、医療費や看護関連でも、予算が成り立たなくなるでしょう。

 現代日本の内憂外患の現状では、先送り先送りを繰り返したってやがては行き詰まる、近い裡に日本は経ち行かなくなるのでは?と恐れます。
 その意味でも一人一人が自強する!
 自らに時間をかけ、心身を構造上から見直して、歪みを正し、機能的に活動しやすい状態に保ち、人本来の能力を高める、というようにします。

 この鍛練は、そのための手段として先哲が創りあげ継承した『丹田活性の極意』と言える体系です。
 人生を賭けて、全力で学んで悔いがない学びです。
 『腰腹同量正中心の鍛練』は、日本が世界に誇る人類の文化遺産だと思います。
 今生、縁を頂きまして勿体なくもここに学ばせていただく機会を得ました。本当に心から感謝です!それだけに真摯に取り組んでまいりたいと思います。

 では、休憩の後に演武に入りたいと思います。


おわり。

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聖中心道肥田式強健術     免許皆伝者 佐々木了雲


(ささきりょううん)

昭和22年8月生

「丹田研究所」主宰

聖中心道肥田式強健術・天真療法伝承師範。道統二代目継承者肥田道夫先生より唯一人全伝終了を証明する認可状と大看板を1991年に拝受。

最新刊『肥田式強健術』(BAB出版刊)と、基本習得ビデオ/DVD全7巻シリーズ(各45分)を主演にて完成。その他、丹田関連の著作多数あり。奉納・公開演武も全国的に展開している。


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